大仏師は大仏製作の総責任者、従四位下は当時の官位を意味する。言い換えるとこの文は「大仏製作を指揮した従四位下の国中公麻呂は百済出身」という意味だ。
◇なぜ百済人が作ったのか
東大寺が建設された745年(推定)は百済が滅亡した660年から数十年が過ぎた時だった。国を失った多くの百済人は船に乗って日本に移住した。高麗(コリョ)大学のソン・ワンボム教授は論文「奈良時代『百済王氏』社会と文化的性格」で、「渡来人集団は技術系、知識系、土木系などの職能集団に分類された」とし、当時百済系出身者が日本社会で高級技術者集団として活動していたと説明する。
彼らの多くが定着したのは現在の大阪だった。東大寺建設資金を集める勧進を引き受けた僧侶の行基も現在の大阪府堺市で668年に生まれた。行基は百済の王仁の子孫とされている。
また、東大寺の仏像に貼る金900両を朝廷に捧げた百済王敬福も百済系出身だ。陸奥の地方官だった彼は百済系職人を動員して金を採掘したという。
彼が百済出身というのは名前から明確にあらわれている。百済王敬福の姓は「百済王」で名は「敬福」だ。815年に日本で編纂された『新撰姓氏録』によると百済王氏は百済が滅亡した当時日本に滞在していた義慈王の息子扶余善光が帰化し691年に日本の朝廷から授けられたと記録されている。
一方、忠清南道(チュンチョンナムド)歴史文化研究院のチェ・ウニョン責任研究員は最近発表した論文「東大寺を通じてみた古代日本の中の百済系渡倭人-百済王敬服の黄金献上を中心に」を通じ、「この時の金は日本で最初に産出された金で、東大寺の大仏のめっきを完成するのに決定的な役割をした」と説明した。
◇中国と日本の「歴史外交」セールス
習近平主席は6日に北京で開かれた韓中首脳会談で李大統領に「歴史の正しい側に立ち正しい戦略的選択をしなければならない」と圧迫した。中国側の発表によると、習主席は「80余年前に韓国と中国は大きな民族的犠牲を払って日本軍国主義に対抗し勝利を収めた。いまはさらに協力し第2次世界大戦勝利の成果を守り北東アジアの平和と安定を守らなければならない」と強調したという。
李大統領が7日に上海の大韓民国臨時政府庁舎を訪問したことに対しても「臨時政府庁舎は抗日戦争時期に韓中国民が互い力いっぱい助けた歴史的友情の証拠であり、両国がさらに手を取り合って第2次世界大戦勝利の結果を守らなければならない」(中国国際問題研究院楊希雨研究員)という反応を出した。
事実上歴史を媒介に中日対立で韓国が中国と連帯するよう提案して、最小限韓米日三角連係に亀裂を入れようとする試みと解釈される。
このように中国が近現代史で攻勢をかけ、日本は百済と日本の協力を象徴する東大寺というカードを通じて古代史で対抗した形となった。唐(中国)により滅亡した百済系移民らと日本政府がともに作り上げた東大寺を舞台に韓日首脳が会うためだ。
2026/01/11 10:25
https://japanese.joins.com/JArticle/343227