江戸時代(1603~1868年)、鬱陵島(ウルルンド)・独島(トクド、日本名・竹島)への出入り禁止を破った自国の漁民を適切に執り締まれなかった責任を問われ、地方の侍(武士)たちが問責の末に自決した記録が日本の文書で確認された。これは当時、日本政府が独島など2つの島を朝鮮の領土と認識していたことを示す状況として注目される。
韓日文化研究所の金文吉(キム・ムンギル)所長は、島根県「竹島資料室」の保管庫にある「松井一族」の史料でこうした内容を確認したと明らかにした。
2026/03/17 14:56
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