韓国人であり同時に世界人として「慰安婦」少女たちを表象する時【寄稿】

投稿者: | 2026年5月8日

 近代性は時間と空間の標準化からはじまったと言われている。1884年、英国ロンドンのグリニッジ天文台を起点として、全世界の広範かつ時として未知の場所と時間がひとつの尺度の中に包摂された。しかし、1960年代にはっきりと表れたポストモダニズムは、時間は単線的に過去から現在へと流れてくるのではなく、過去は現在に回帰し、現在を書き直す、時空間の標準化は抑圧と排除を伴うと批判した。今日は「慰安婦」問題として知られる日本軍性奴隷制を、多層的な時空間の中に置いて考察してみようと思う。

#時空間1:4月10日、SNSで李在明(イ・ジェミョン)大統領は「慰安婦の強制、ユダヤ人虐殺や戦時殺害には違いがない」と述べた。これに対しイスラエル外務省は、ユダヤ人虐殺を軽視する発言だとして直ちに問題提起したが、「慰安婦」問題を集団虐殺のレベルに位置付けたこの発言は非常に重要な意味を持つ。「慰安婦」事件は真に普遍的な視点でとらえるべきだからであり、実際に植民地下朝鮮の女性たちに対して敷かれた日本軍性奴隷制は、ジェノサイド(集団虐殺)犯罪の要素を多く含んでいたからだ。当時の警察と軍人、個人の結び付いた体系的な動員、日本軍が戦争を繰り広げた広範なアジア太平洋地域への強制配置、暴行や拷問、性器の損傷や再生産暴力がそれだ。李大統領が「慰安婦」人権じゅうりんを性暴力にとどまらない「慰安婦」強制と呼んだのは、神の一手だと思う。

#時空間2:2000年12月8日から12日にかけて、東京で「2000年日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」が開催された。法廷はアジア10カ国あまりから大勢の参加を得た。市民裁判所だったためその勧告を強行する権限は持ちえなかったが、当代の国際刑事法、人権、そして戦時性暴力法理の最前線に立ち、歴史的証拠を集大成した本法廷は、世界人に向けた厳格な歴史教育の場であったと言えるだろう。法廷は、日本軍性奴隷制の下で行われた犯罪を「人道に対する罪(Crimes against Humanity)」と判断し、裕仁日本国王をはじめ、当時の最高位の官僚や軍の司令官には個人としての責任が、そして日本政府には国家責任があるとする判決を下した。少女たちの戦争でもない戦争で、イランの小学生が集団殺害されたように、第2次世界大戦で主体となったこともない、推定8万人から20万人(チョン・ジンソン、2024)にのぼる朝鮮の少女や成人女性は、性奴隷として連行され、極少数の生還被害者を除いて生死も分からないまま、80年あまりの時が流れた。動員当時の朝鮮人被害者の年齢は、数え年で16~17歳が最も多い。あの多くの少女たちは、みんなどこへ行ってしまったのだろうか。人道に対する犯罪は、ホロコーストのように戦時か平時かを問わず、民間人に対する広範で体系的な攻撃の一環として行われる犯罪行為であり、人間性と人類の尊厳に反する行為であるという法論理に則っている。それだけに、この犯罪の判断は具体性の中で普遍的であるべきであり、被害者救済は崇高であるべきだと考える。現在、国際刑事裁判所に関するローマ規程には、人道に対する犯罪として殺害、絶滅、奴隷化、強制移住、拷問、強かん、性奴隷、迫害などが規定されている。

#時空間3、4、5:2011年8月、大韓民国憲法裁判所は、1965年の韓日請求権協定に則れば、日本軍「慰安婦」などの個人被害者には賠償請求権が残されているにもかかわらず、日本政府との外交的努力を通じて被害者の基本権の実現に積極的に取り組んでいない韓国政府の不作為は違憲であるという趣旨の決定を下した。この決定は、「慰安婦」被害者の被害回復に対する責任は日本だけでなく韓国政府にもあることを言い渡したものであり、植民地時代の違法行為の現在性と韓国政府の責任を明示した脱植民地的決定だと評価する。その後の韓日交渉の結果、2015年12月に韓日外相の「慰安婦」問題合意が発表されたが、多くの韓国の被害生存者は合意を不服として日本政府を相手取って損害賠償訴訟を起こした。2021年1月にソウル中央地方裁判所、2023年11月にはソウル高等裁判所で、原告の被害者たちは「国家免除」という国際慣習法を乗り越え、それぞれ勝訴判決を勝ち取った(民主社会のための弁護士会、訴訟「白書」、2026)。

#時空間6:2026年5月6日、旧日本大使館前に設置されている「平和の少女像」を囲んでいたバリケードが撤去された。このバリケードは、極右団体が日本軍性奴隷制の存在を否定し、少女像の破壊を試みたことを受け、1700回以上の水曜デモを主導してきた日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯の要請により設置されていたものだ。少女像は韓国国内に150体あまり、国外9カ国に35体(2025年現在)設置されており、まさに世界市民の共感を得ている集合表象だと言える。古典社会学者エミール・デュルケームは、共同体の法と規範を集合意識の表象と解釈しているが、少女像は解消されていない植民地下の抑圧と女性に対する暴力についての韓国人の集合意識を表象していると思われる。しかし同時に、その意識を固定化しうる象徴でもある。

#時空間7:日本軍「慰安婦」問題は80年以上前の時間にのみ属するのか。それとも、正義に近づいた2000年代から現在までの事件なのか。それは韓国の問題なのか、あるいは世界のどこでも起こり得る問題なのか。ご存知のとおり、日本軍性奴隷制の被害者は韓国だけでなく台湾、中国、日本、インドネシア、オランダ、マレーシア、フィリピン、東ティモールに加えて、太平洋の島々にも散在している。だから、各地域の被害者の被害の様相とその処理過程は、似ていながらも異なる特徴もある。よって、韓国で支配的な「慰安婦」言説は韓国の被害を絶対化しているのではないかという批判もなされてきた。本稿は沖縄の宮古島で毎年9月上旬に「アリラン碑」の前で行われる追悼行事のことに触れて締めくくりたい。宮古島の住民は、被害者は主に朝鮮人女性だったと記憶しており、アリランを歌いながら追悼式を執り行うが、その記念碑は被害者が属した10カ国以上の言語で記されている。私は、宮古島の住民こそ普遍的な人権を語る真の世界市民であり、アジア人なのではないかと考える。今後は平和の少女像の横にも、10カ国以上の「慰安婦」被害者を記念するシンボル、さらにはイランの罪なき小学生たちのようなシンボルを並べることはできないだろうか。韓国の市民が韓国人かつ世界人として「慰安婦」少女たちを表象する時、「慰安婦」問題は最ももろく、かつ手ごわい人道に対する犯罪として人類に記憶されるだろう。

2026/05/07 19:42
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/56134.html

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