猪飼野語を翻訳するならば【寄稿】

投稿者: | 2026年8月8日

 真夏は小説を読む季節だ。本当はもっと読みたいのだが、執筆中の原稿のために読まねばならない本や論文が山積しており、時間がないといつも言い訳をしている。真夏には仕事のスケジュールが落ち着くため、多少の余裕ができる。

 最近読んだ本は、作家の元秀一(ウォン・スイル)氏の2016年の作品『猪飼野打令』だ。元氏の短編集『猪飼野物語』を興味深く読んだ記憶があったので、大いに期待していた。猪飼野は大阪の一地域で、在日コリアンが長きにわたり密集して暮らしていた場所だ。特に、日帝強占期(日本による植民地時代)から、済州(チェジュ)出身の移民が多く、1948年の済州4・3事件後は、生き残るためにこの地に渡ってきた人たちがさらに増えた。「猪飼野」出身の元氏は、さまざまな作品でこの地域を描写した。

 『猪飼野打令』は最初のページから一味違う。小説内の対話だけでなく、地の文も濃厚な大阪弁だ。特筆すべき点は、大阪弁の文法に従いながらも、文章には韓国語の単語がふんだんに使われていることだ。「アイゴ」のように、すでに日本語で外来語のように用いられているものから、「チョンマル(本当に)」や「ミチンノム(狂ったやつ)」のような韓国語の単語まで、多種多様だ。韓国語の単語の横には、小さな字で日本語の意味が記されている。日本語では外来語や外国語はカタカナで表記されるため、元氏の小説にはカタカナが多く、漢字が少ないため、視覚的な面でも一般の小説と雰囲気が違う。韓国語の名詞が多いが、「アニ(いや)」「アニラ(ではなく)」「タシハンボン(もう一度)」のような名詞以外の語句も多く出てくる。「マッスダゲ(そのとおりですよ)」や「コマプスダ(ありがとうございます)」のような済州方言も登場する。言うならば、この作品は混成的な方言の性格が強い「猪飼野語」を活用している。

 猪飼野語はカタカナが非常に多いため、一般の小説よりも読みにくい側面があるが、読んでいる間、いろいろと考えさせられた。この小説を他の言語に翻訳することは、はたして可能なのだろうかと考えてみた。もともと文学の翻訳は容易ではないうえ、テキストのかなりの部分が独特な方言で構成されているとすれば、どのように翻訳すれば、原作の雰囲気を生かせるのだろうか。かなり難しい。韓国語に翻訳する場合、猪飼野語のなかに韓国語が多いので、そのまま生かせばいいのではないかと思われるが、大阪弁の翻訳問題が残る。まず考えられるのは、大阪弁は釜山(プサン)方言に似た「熱い」雰囲気があるため、濃厚な釜山方言に置き換えれば、その雰囲気をある程度は伝えられるはずだ。しかし、小説の舞台は猪飼野で、その共同体の構成員には済州島出身者が多い。釜山方言ではしっくりこなさそうだ。

 英語に翻訳するのはさらに難しい。猪飼野語に相当する方言がないだけでなく、韓国語の単語をそのまま翻訳することもできない。無難に標準的な文章に翻訳してしまうと、言語の雰囲気が完全に消えてしまう。庶民が使う俗語を生かして翻訳すれば、ある程度はその雰囲気を生かすことができるだろうか。

 カタカナだらけの原作がかもしだす視覚的な異質感は、興味深い課題だ。英語では外来語を区別して表記しないが、文章内の外国語の単語をイタリック体で表記することがあるため、その方法を利用できる。韓国語では、外来語と外国語の単語を区別して表記しないが、場合によっては、イタリック体または太字を使うことがあるので、検討の余地がある。単に日本語で書かれた作品に限った問題ではない。文学において、いわゆる「異質な」文字や表記を翻訳する際に生じる悩みだ。

 ところで、翻訳では、必ずそこまでしなければならないのだろうか。『猪飼野打令』が翻訳の難しい作品であることは確かだ。しかし、発想を変えて、原作の雰囲気をそのまま伝えることはどうしてもできないと、初めから割り切ったとすればどうだろうか。そのうえで、想像力豊かな翻訳家の手にかかれば、原作の雰囲気を十分に伝えることが可能ではないだろうか。もしかしたら、すべての文学作品に当てはまる話かもしれない。

 真夏にひさしぶりに小説を読んでいる。猪飼野の言葉が生きいきと息づく文章のおかげで、その文章を読みながら、知れず知らずのうちに、韓国語や英語に翻訳する過程を思い描いてしまった。翻訳とは、原作をありのまま写し取ることではなく、あらたに作り直すことだという変わらぬ事実を、ひさしぶりに再確認した。

2026/08/06 08:40
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/56870.html

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