150年の慣行を破る日本の検察…韓国の検察は何を考えているのだろうか【寄稿】

投稿者: | 2024年7月12日

 韓国の「検察庁法」には意味や内容を把握しにくい部分が少なくない。その時、日本検察庁法逐条解説書を読むと理解できる場合がある。これは、韓国の検察制度が1947年以降の日本の検察制度をモデルにしたためだ。しかし、「江南の橘江北の枳となる(橘化為枳)」ということわざのように、実際の運用過程において韓国と日本は大きな違いを見せている。

 韓国と異なる日本検察の属性は、政権や権力中枢に対する捜査が比較的に自由であることだ。当時の特殊な政治的状況や環境に起因したところもあるが、日本の検察が生きた権力を対象に捜査を行い、一定の成果を収めたことは否定できない事実だ。航空会社の旅客機導入に関連し現金を授受した「ロッキード事件」、上場による差益が予想される未上場の株式を低価格で取得した「リクルート事件」、巨額の不法政治資金を受け取った「東京佐川急便事件」などは全て当時の最高権力者を対象にしたものだった。

 捜査機関が外部の干渉から組織の独立性を確保するためには、結局、人事の自律性が保証されなければならない。しかし、行政府に属する検察に自治権を与えることは、制度の本質上、可能でもなく、また望ましいことでもない。統制が効かない検察権力が国家の他の機能を圧倒する「検察ファッショ」現象を引き起こす恐れがあるためだ。

 このようなジレンマから日本の検察が考案したのが、検察高官の人事で予測可能性を確保することだった。任期2年の日本の検事総長は、通常2~3代以降も誰がその地位に上がるのか大まかな予想ができる。法務次官→東京高等検察庁検事長→検事総長という経路が人事の慣行として確立されているためだ。そして1959年以降、これまで29人の検事総長のうち18人がこのような経路を辿った。このように未来の構図を予見できる状況なら、政治権力が人事権の行使を通じて捜査の方向を変えようとする試み自体が難しくなる。

 しかし、政治権力の干渉を排除するために、比較的効果的なこのような人事慣行にも重大な限界がある。先例の機械的な踏襲を前提とする慣行は、必然的に保守性を帯びざるを得ない。そして、完全無欠を求める減点主義的人事システムにおいて、検事総長に任命される可能性のある者は、東京大学や京都大学の法学部在学中に優秀な成績で司法試験に合格した少数のエリートに限られた。実際、歴代検事総長29人のうち、東大と京大以外の大学を卒業したのは3人に過ぎなかった。生態系の一般的な現象のように、均一化された純血主義的な組織は、変化する環境への適応力が低下し、外部からの衝撃にも脆弱なものだ。

 先月28日、日本政府は新任検事総長に畝本直美東京高等検察庁検事長を起用すると発表した。私立の中央大法学部を卒業した畝本氏は検察庁での勤務が比較的長かった一方、主要ポストとされる法務省刑事局長、官房長、事務次官と東京地方検察庁検事正などを経ていない。何よりも直美という名前からも分かるように、畝本氏は女性初の検事総長だ。長年の慣行を破って非主流に属する人物を検察の首長に抜擢した今回の人事は、日本の検察150年の歴史で前例のない試みであり、新しい現実に適応するための取り組みと言える。

 不朽の名曲はあっても、不朽の制度や組織はありえない。有機体である組織には死滅を避けるための絶え間ない自己省察と革新に向けた取り組が求められる。今、韓国の検察は重大な危機に直面している。個別の事案に対する解明などは当然必要だが、これが現存する本質的問題を解決するための究極的な手段ではないことも明らかだ。韓国の検察は、自分たちの原型である日本の今回の検事総長人事を見て、何を考えているのだろうか。もちろん、これはもっぱら彼らに課せられた課題だろう。

2024/07/11 18:50
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/50572.html

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