寒さに追われてたどり着いた地…韓国人は気候難民だった【レビュー】

投稿者: | 2024年9月21日

 「飢饉の残酷さが今年ほど深刻なときはなかったし、南方の寒さも今年の冬よりひどいときはなかった。飢えと寒さが体に迫るため、互いに集まり盗みをしている」(顕宗実録12年、1671年陰暦1月11日)。全羅道に大雨が連日降り、平野が川になった。大雨の報告は慶尚道、忠清道、京畿道、咸鏡道にわたる。6月にはひょうも降った。春と夏の大雨で農作物が育たず、残った農作物はイナゴの群れに奪われた。この期間を経た2年間で済州道の人口は4割減った。1670年の庚辛大飢饉の後には寒さが来た。このときの寒さは世界的なものだった。欧州では小氷河期の最初の極小期には黒死病が猛威を振るい、「マウンダー極小期」には30年戦争や魔女狩りなどが広がった。中国では明と清の交代期だった。

 しかし、地球で20万年前から生きてきたサピエンスは、これよりもっと厳しい寒さを数えきれないほど経験した。毛皮の服と居住地では寒さに耐えることができず、食料さえ底をついたときには、どのようにしなければならなかったのだろうか。17世紀に定住していたサピエンスもそうだが、家も国もなかった古代のサピエンスの選択は明確だ。住む場所を探して動くことだ。ソウル大学のパク・ジョンジェ教授(地理学)の『韓国人の起源』(パダ出版社)のテーマは単純だ。古人類の歴史では気候は移動を決める第1の要因だ。気候変動から人類の移動を調べると、東側の末端の朝鮮半島に集まった遺伝子が分かる。「周期的な気候変動が朝鮮半島の人口集団、いわゆる『韓民族』を作った」。このため本は2つの方向に動く。1つは気候を追跡する。気候分析に古代の遺伝子の分析を組み合わせてみる。

 遺伝子分析が、最近になり人類学的に輝かしい成果を生み出した背景だ。1980年代後半のミトコンドリア分析を通じて、「人類のイブ」がサハラ南部に20万年前に住んでいたことを特定した後、ミトコンドリアとY染色体の分析からさらに進んだ「全長遺伝子解析」が2009年に始まった。分析の成果はそれまでの仮説をくつがえして話題になった。

 気候には、太陽黒点の変化、楕円形の地球の歳差運動、エルニーニョを含む北大西洋の熱塩循環などが関与する。このような要素が組み合わさり刻み込まれる重要な歴史的年輪は、最後の氷河期の最盛期(25ka~18ka、1kaは1000年前、基準は1950年)、気候変動が深刻だった晩氷期(~11.7ka)、完新世の気候最適期前(8.2ka)と後(4.2ka)、青銅器低温期(3.2ka)、鉄器低温期(2.8ka)だ。最後の氷河期の最盛期にサピエンスはアフリカを離れ、北・東・西の3方向に出ていき、ネアンデルタール人と出会い遺伝子が交雑した。最盛期の急激な気候変動は人類の移動を急発進させた。朝鮮半島には青銅器低温期と鉄器低温期に異民族が到達した。

 そのようにして形成された「韓国人の起源」は誰だろうか。秋夕に放映された『世界テーマ紀行』(EBS)では、ナレーターがゴム工場で働くミャンマー出身のモン族に出会う。早くに結婚して孫がいる47歳のゴム工場の社長は孫に「マンマ」と言って食事を与える。ナレーターは「韓国語(の『オンマ』)と同じだ」と言ってうれしがる。ミャンマーのモン族はモンゴル由来の少数民族で、モンゴル族はよく知られているとおり、言語の類似性と似た顔付きによって、韓国人が由来する民族とみなされてきた。言語的分析が一致しないのは日本も同じだ。韓国と日本は、地理的に近いため対話が可能なスペインやイタリアなどとは違い、言葉が通じない。しかし、遺伝子分析によると、韓国人は言語の起源となる「モンゴル人」よりは北中国人に似ており、言葉が通じない日本人と同質性が高い。

 著者は、原始日本語を使った民族が先に韓国を経て日本に渡り、その後に原始韓国語を使った人たちが朝鮮半島に来て定着したと推論する。韓国は70%が山で囲まれており、移住民にとっては魅力的ではない地だった。このようなところに押し込んだ力はやはり気候だ。韓国人も日本人もすべて気候難民の子孫だ。遺伝子分析を基に言語の由来を推定し、韓国人と日本人の起源を構成してみよう。4200年前に黄河流域を起源とする農耕社会の人たちが原始日本語を使う人たちだった。これらの人たちは農地を探して遼河地域に集まったが、3200年前に寒さが強まると、北からの移民の波に押されて錦江中下流まで下る。これらの人たちは、その地で朝鮮半島の青銅器を代表する松菊里文化を形成する。その後、気候が悪化すると、これらの人たちの大部分はさらに南に移動して海を渡り、日本の九州まで進出する。これらの人たちが作ったのが弥生文化であり、これらの人たちは日本に住んでいた縄文先祖集団を上下(沖縄と北海道)に押し出す。松菊里後に農耕文化が真空状態になった朝鮮半島に、2300年前に寒さに追われてきた人たちが、原始韓国語を使う人たちだ。これらの人たちは同じ遼河地域の鉄器文化の遊牧民で、燕の名将である秦開に率いられた燕に追われて遼河を渡った。古朝鮮社会はこの遊牧民によって混沌に陥る。

 著書を貫いて歴史を動かすものは、気候のなかでも寒さだ。ならば、人新世後の温室効果ガスの排出によって高まっている「気温上昇」は、そのような役割を果たすのだろうか。小氷河期が終わった1850年以降、地球は気候が緩やかに上昇する温暖期に入った。問題は変化の様相だ。産業革命から1950年以降の温度上昇はあまりにも急激だ。著者は「地球は一度も体験したことのない超間氷期に向かっている」と語る。

 現在の地球の温度は最後の小氷河期の最盛期の平均温度より9度高い。これまで地球は周期的な寒冷化によって自己調節してきた。温暖期であってもかく乱が大きくなれば、地球の生態系は臨界点を越えることになる。それを科学者は4度と推算する。4度上がれば、低緯度では住める地域はなくなり、朝鮮半島は激しい生存競争の場になるだろう。3万年の歴史に目を通した著者は、既視感があると述べる。「あたかも、かつて寒さを避けて北から朝鮮半島に入ってきた人たちが、最後の小氷河期の最盛期後の温暖化で環境が急激に変わると、朝鮮半島を離れて北に向かって戻っていった状況を連想させる」。韓国の気温上昇は世界よりもさらに急激だ。産業化後に世界は1.1度、韓国は1.6度上昇した。

2024/09/20 15:19
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/51150.html

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