海外に出てから、改めて韓国民主化運動の歴史の重さに気づかされることが何度もあった。2010年12月、ミャンマー最大都市ヤンゴンで会ったある野党政治家は、1980年代の韓国民主化運動の歴史を例に挙げ、ミャンマー民主化への希望について語った。ミャンマーでは当時、民主化運動の象徴だったアウンサンスーチーが14年ぶりに自宅軟禁を解除され、軍部政権が民政への移譲を進めていた。韓国人記者に会ったから切り出した話題かもしれないが、韓国の民主化の歴史について振り返るきっかけとなった。その後、2015年にアウンサンスーチーが民族民主同盟(NLD)を率いて総選挙で圧勝し、ミャンマー政府を率いた。ところが、2021年に軍部クーデターが起き、市民の抵抗にもかかわらず、軍部はこれを残酷にも流血鎮圧した。
日本でも市民団体の関係者が韓国民主化運動の歴史について語ることが多かった。日本は民主主義国家だが、市民の力で軍事政権を倒し、民主的政府を樹立した歴史はないため、韓国の独特な歴史に関心を示す人々に会うことも稀ではなかった。
昨年5月の総選挙で1位になる突風を巻き起こしたが、憲法裁判所によって解散されたタイ「前進党」の党首、ピタ・リムジャロエンラット氏は、いくつかのインタビューで金泳三(キム・ヨンサム)政権後の韓国の事例に触れ、2014年の軍事クーデター後、軍部の影響力が圧倒的になったタイ政治の改革を訴えた。韓国社会で民主主義はここ数十年間で当たり前のことになったが、民主主義を勝ち取って維持することは容易なことではない。
12月3日夜10時28分、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が突然宣布した非常戒厳で、改めてその至難さを痛感させられた。尹大統領は「敗悪を日常とする亡国の元凶、反国家勢力を必ず撲滅する」として時代錯誤的非常戒厳を宣布したが、6時間後に解除せざるを得なかったし、このことは主要国際ニュースとして全世界に流れた。ニューヨーク・タイムズ紙は、今回の事態で韓米関係は数十年ぶりに最大の試練に直面する可能性があると報じた。ジョー・バイデン政権で「民主主義対独裁」を外交政策の基本枠組みとしてきたことに触れ、「中国と北朝鮮、ロシアに対抗するために韓国と軍事協力を強化してきた点で、、今回の危機にどのように対応するかをめぐり難しい選択を迫られるだろう」と見通した。実際、カート・キャンベル国務副長官は4日、「アスペン安全保障フォーラム」の行事で、韓国の状況に関する質問に「私は、尹大統領が深刻な誤判断を下したと考えており、韓国では戒厳に対する過去の経験が深く否定的な反響を持っていると思う」として、尹大統領を辛らつに批判した。
ただでさえ韓国政府は深刻な外部的危機状況への対応を迫られていた。5日に北朝鮮とロシアは「武力侵攻を受けて戦争状態に陥る場合」に相互軍事支援を約束した「包括的戦略パートナーシップ条約」(朝ロ条約)批准を完了し、条約を発効させた。同条約は、朝ロ軍事同盟関係の復元の法的基盤になるものとみられている。韓国国防部は、北朝鮮がロシアに派遣した兵力が1万人にのぼると発表した。ウクライナ戦争の磁場に朝鮮半島も吸い込まれている。
ドナルド・トランプ氏の当選も不安要素だ。トランプ氏は第1次トランプ政権で北朝鮮と核交渉を行ったため、今回も北朝鮮と交渉する可能性はあるものの、場当たり的で予測不可能な面がどう出るか分からない。トランプ氏が国防長官候補に指名したピート・ヘグセスらをはじめとする外交安全保障政策のトップたちは、軍事力の使用を好む強硬なタカ派だ。トランプ氏が北朝鮮との交渉に関心を示したとしても、ウクライナ戦争を機にロシアと密着した北朝鮮が米国との交渉に消極的である可能性が高い。
外部の危険要素が山積しているこの時、尹大統領は韓国社会が長きにわたって成し遂げた資産である、自らの手で民主主義を勝ち取った歴史まで破壊しようとした。野党の非協力が原因という詭弁はまかり通らない。「今後の政局安定策は我が党に一任する」という発言で幕引きを図ることなんてありえない。12・3内乱事態が起きてから間もなく一週間を迎える。尹大統領は一日も早く退き、内乱事態に対する捜査を受けなければならない。
2024/12/09 18:48
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/51861.html