「無念にもBC級戦犯になった朝鮮人、日本はなぜ補償しないのか」

投稿者: | 2025年4月2日

 「無念にも『BC級戦犯』になった朝鮮人たちに、日本はなぜ補償しないのですか」

 1日、ハンギョレの取材を受けた朴来洪(パク・レホン)会長はこう述べた。朴会長は、第2次世界大戦が終わった後、朝鮮人でありながらも「日本軍のB級戦犯」として処罰を受けた故・朴昌浩(パク・チャンホ)さんの息子だ。同進会はこの日、東京の衆議院で「『同進会』70年の歩みを聞き外国籍BC級戦犯者問題の早期立法解決を願う集い」を開催し、「日本の軍属として戦争に動員され、『戦犯』となった朝鮮の青年たちは、死刑となったり服役をしたりした」として、「日本政府はなぜこの問題に目を閉ざすのか」と訴えた。

 朴会長の父親のように「朝鮮人BC級戦犯」たちが烙印を押されて生涯を過ごしたのは、日本の植民地強制動員政策によるものだった。第2次世界大戦の最中だった1942年、日本は東南アジア戦線で連戦連勝して、多くの連合軍捕虜を捕らえた日本の軍部は、日本人軍属の手間を減らすために、最前線の捕虜監視員として植民地朝鮮の青年3000人以上を動員した。戦争が終わると、彼らは捕虜監視員から戦争犯罪人になった。連合国による軍事裁判では、日本軍BC級戦犯は5700人近くに達したが、それには朝鮮人148人(23人死刑)が含まれた。このうち、朝鮮人捕虜監視員だけでも129人だった。非人道的な捕虜政策を作り、朝鮮人に捕虜監視を強要したのは日本の軍部だったが、戦争後、日本政府は彼らの責任を負わなかった。

 悲劇はこれで終わりではなかった。祖国から彼らは「対日協力者」「戦争犯罪人」として非難された。戦犯刑務所から釈放された後も、故郷に戻れなかった。しかも日本は、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約によって、朝鮮籍が回復した後は「日本国籍ではない」という理由で、彼らを福祉や援助の対象から除外した。遠い異国の地での生活苦に直面し、極端な選択をしたり、精神病棟で最期を迎えたりする事例もあった。「朝鮮人戦犯」の一部と遺族ら70人あまりは、1955年に「同進会」を結成した。最後の朝鮮人BC級戦犯被害者だった同進会の李鶴来(イ・ハンネ)前会長は、生前に出した著書『韓国人元BC級戦犯の訴え: 何のために、誰のために』で、「私の頭の中には、死んだ同僚たち、特に死刑囚がいます。故郷を離れて日本軍の捕虜政策の末端を務め、『日本軍戦犯』になって死んでいった同僚たちの無念を少しでも晴らすことが、生き残った私の責務」だと訴えた。

 同進会は、日本政府に援助と補償を要求したが、「1965年の韓日協定で賠償はすべて終わった」という回答しか返ってこなかった。1991年11月には日本政府を相手取り、「戦犯」となったことに対して謝罪と賠償を求める訴訟を提起した。しかし、7年かけて最高裁まで行った裁判は、「朝鮮人戦犯のための法律がない」という趣旨のもと、最終的には棄却された。最高裁は、上告人は「いずれも我が国の統治下にあった朝鮮の出身者であり、昭和一七年ころ、半ば強制的に俘虜監視員に応募させられ」「死刑の執行を受け」「長期間にわたって拘禁されるなど、深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った」としながらも、この問題は「立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当」だと判断した。

 最大野党の民主党が2008年と2016年に関連法案を提出したが、国会の関門を越えることはできなかった。日本では、岸田文雄前首相(2021年)と石破茂首相(2024年)、韓国では尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領(2022年)にそれぞれ嘆願書を提出したが、応答はなかった。2021年、韓国の憲法裁判所では、彼らが「韓国政府が韓国人戦犯問題を解決しないのは違憲」だとして、韓国政府を相手取り起こした不作為違憲確認訴訟で、裁判官たちが5(却下)対4(違憲)の意見で却下を決めた。立憲民主党の泉健太前代表はこの日の集いに参加し、「国家(日本)の指示と命令に従って戦犯になった方々に補償して謝罪するのは当然のこと」だと述べた。

 2021年に前会長が亡くなったことで、同進会には被害当事者が1人もいなくなった。この日結成70周年を迎えた同進会は「被害者救済のための法を制定し、当事者と遺族を救済することで、『日本は人権後進国』だという汚名を、遅ればせながらもそそぐことを望む」と要求した。

2025/04/01 16:17
https://japan.hani.co.kr/arti/international/52820.html

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