通貨危機が打ち砕いた韓国社会…不信・不安・不満の「3不」を植えつけた

投稿者: | 2025年7月16日

◇大韓民国「トリガー60」⑨通貨危機、その後の社会は

衝撃的な経験は心に傷を残す。そして強烈な傷跡は、その後の行動を左右する。集団体験もまた個人の行動を変える。今では咳をすれば人の目を気にしてマスクをするのが当たり前になっているが、コロナ禍以前はあまり見られない光景だった。

 通貨危機は強烈な集団体験だった。ソウル大学社会発展研究所が2004年に実施した調査では、国民が「直接経験した最も衝撃的な出来事」として「通貨危機」(28.8%)を挙げた。最近の出来事ほどもっと強く衝撃的に感じるのが普通だが、調査から7年前に発生した1997年の通貨危機は、調査当年に起きた「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の弾劾」(15%、3位)や、2年前の「ワールドカップ(W杯)4強」(19%、2位)を大きく上回った。2015年のソウル大学アジア研究所の調査でも、通貨危機(23.1%)は「セウォル号沈没」(37.9%、2014年発生)に次ぐ2位だった。

衝撃的だった通貨危機は、国民の心に深い傷を残した。そして国民の認識と行動を変えた。その結果、韓国社会は不信・不安・不満、いわゆる「3不社会」へと転換した。

◇通貨危機後、政府・機関・企業への信頼が崩壊

「なぜ我々がこの苦痛を受けなければならないのか–」

給料は削られ、利子は雪だるま式に膨らみ、店の客足は途絶え、さらには職場から追い出される人まで現れた通貨危機当時、誰もが一度はこう考えたはずだ。苦痛の原因はマスコミなどを通じて一つひとつ明らかになった。金融や大企業の不良の背後には政経癒着や不正腐敗、粉飾決算などが潜んでいた。

これは機関・企業・団体に対する信頼を損なう要因となった。2007年、通貨危機から10年を迎えて社会発展研究所が行った国民意識調査では「政府を信頼している」という回答(信頼する+非常に信頼する)はたった8.1%。政党はこれよりもさらに低い2.9%、大企業は13%だった。政権と政府への倦怠感は、当時の若者、すなわち今の50歳前後の世代の政治傾向まで変えた。通貨危機に責任のある当時の政府・政治界から背を向けさせたのだ。

通貨危機以前は公共機関などに対する信頼が比較的高かった。あの時代は生活が豊かになっていくことを肌で感じられた時代だった。それは国家主導の経済発展の成果であり、国民は政府を信じて従っていた。しかし通貨危機を通じて、公的機関の腐敗や大企業のモラルハザードといった高度成長の中の黒い影が表に現れた。これによって地に落ちた信頼は、権威を崩壊させた。1987年の民主化運動が権威主義的権力を解体したとすれば、通貨危機はその後、「大統領もやってられない」という盧武鉉元大統領の言葉が示すように、正当な制度的権威まで崩壊させた。

税制度や予算運用に対する不信も根強い。2017年筆者が実施した一般人とのグループインタビューでは、ある50代の男性が「(税金を)出せば何かしてくれるというのもなく…昔みたいに馬鹿正直に騙される時代は終わった。今はそう簡単には騙されない」と話した。

◇公務員・医師志向が高まり、私教育が拡大

通貨危機以前は希望の時代だった。明日は今日よりも良くなると信じて疑わなかった。1960年代初頭から30年以上続いた成長の“果実”を体感していたからだ。

しかし通貨危機は希望を打ち砕き、不安を育てた。「整理解雇」などという単語すら馴染みのなかったものが、突然現実のものとなった。2017年韓国開発研究院(KDI)の調査では、回答者の39.7%が「本人・親・兄弟の失職や倒産を経験した」と答えた。

「大企業は潰れない」という神話は消え、大企業が次々と倒産した。絶対安全と思われていた銀行ですら職員が次々と解雇された。そこから芽生えた不安は、安定を追求する心理を極度に刺激した。求職者は公務員や公企業職員になることに執着した。医大やロースクールなど、資格取得志向もさらに強まった。ソウル大学・高麗(コリョ)大学・延世(ヨンセ)大学といういわゆる「SKY」大学を目指す入試は、正解を当てる先取り学習の競争となり、これは公教育の空洞化と私教育の膨張を招いた。いわゆる「位置財競争」(後述の用語説明を参照)が本格化したのだ。

不安は家族関係にも影響を与えた。若者たちは結婚や出産のような「ライフイベント」さえも経済的リスクと見るようになった。家庭を築いた後、いつ襲うか分からない経済的不幸に備えなければならなかった子どもたちは、高齢の親を扶養することに負担を感じた。グローバル化の波で希薄になった儒教倫理は、ますます親と子を分断させた。1996年の社会発展研究所の調査では「子は親を扶養すべき義務がある」という回答が67%だったが、2007年の調査では20.1%(多少無理をしてでも扶養すべき)に激減した。2017年、筆者の研究チームが会ったある50代の女性は「私の娘はあからさまに『母さんは自分で何とかやっていって』と言う」と語った。老後福祉の3本柱である「家族・保険・政府」のうち、家族の役割はこのようにして消えた。その空白を埋めるべき政府の公共福祉は、先進国と比べてまだまだ不十分だ。

過度な地位競争と極端な不安は、韓国を「世界で最も憂鬱な国」(米国作家マーク・マンソン)にしてしまった。自殺率は通貨危機以降増加し、現在、韓国はOECD加盟国のうち自殺率1位という不名誉を背負っている。特に高齢者自殺率はOECD平均の3倍に達する。

◇階層間の移動が困難になり、相対的剥奪感が増大

圧縮成長期に国民は「満潮効果」を享受した。満潮が大型船も小型船も関係なく水上に浮かせるように、この時期はあらゆる人々に成長の恩恵が行き渡った。その背景には、大企業と中小企業の賃金格差が広がらないよう、大企業の報酬を抑制した政府の影響もあった。

しかし通貨危機を経て状況は一変した。ほとんどのことを市場に任せ、政府は介入を最小限にせよというのが国際通貨基金(IMF)の要求だった。グローバル競争に飛び込んだ大企業は人材確保のために賃金をどんどん引き上げた。しかしこれは中小企業や非正規職にとっては「絵に描いた餅」だった。二大労組は大企業の正社員を中心に自分たちだけを守り、賃金格差をさらに拡大させた。現在、労組のある大企業の正規職の平均賃金を100とすれば、労組のない中小企業や非正規職は40に過ぎない。「12対88社会」はこうして生まれた。12対88とは、大企業正規職労働者と中小・非正規労働者の割合を指す。

階層移動はより困難になった。それにより12対88のうち88は相対的剥奪感と不満を抱くようになった。人々の間に諦めが広がり、階層的自信も低下した。「自分が中産層」という回答は、1989年には75%(韓国ギャラップ調査)だったが、2007年には20%(韓国社会学会調査)に下落した。

◇通貨危機の傷を癒そうとする努力が必要

1人あたりの国民所得が日本を上回るほど豊かな国・韓国で、不信・不安・不満が溢れている。その結果、自殺率は最高、出生率は最低だ。一言で言えば「豊かさの逆説」だ。「無差別成長」ではなく、「国民のウェルビーイングを考える成長戦略」が必要だ。政府は何ができるか。経済協力開発機構(OECD)は「GDPを超えろ」と助言する。OECD諸国の中で経済成績は上位圏だが、国民のウェルビーイングは最下位圏の韓国にとって、痛烈な指摘だ。

ニュージーランドが2019年に公表した「ウェルビーイング予算」は示唆的だ。政府は国民のウェルビーイング向上を目標に据えた。政府機関への信頼を高め、不正腐敗を減らし、身体と心の健康を共に管理し、雇用率を引き上げるなどだ。孤独をなくし、生活満足度を高めるといった目標もある。ニュージーランドはこうした目標を指標化し、予算がどれだけ指標を改善するかを詳しく点検する。

韓国も例えば、大・中小企業間の賃金格差縮小のような指標を作り、それを改善することに予算を投入してはどうだろうか。通貨危機によって生じ、広がり続ける傷をふさぎ、癒すための努力が切実に求められる。

→位置財(positioning goods)=手に入れることで自分を他人と区別してくれるもの。良い職場、良い学校、良い住環境などが代表的。

イ・ジェヨル/ソウル大学社会学科教授

2025/07/16 11:05
https://japanese.joins.com/JArticle/336335

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