1961年の韓国の最大輸出品は鉄鉱石だった。10大輸出品には生糸・イカ・豚毛などが含まれていた。当時、外貨稼ぎのために環境美化員は路上のイチョウの葉を集めた。血栓溶解剤「ウロキナーゼ」を輸出するため公衆便所の尿も集めた。このような全国民的な努力のおかげで戦争の廃虚の中の「最貧国」韓国は光復(解放)80年で輸出強大国に加わることができた。現在の韓国の主力輸出品は電子・自動車・半導体など重化学・先端産業に変わった。
統計庁によると、韓国で統計調査が始まったのは1925年の人口総調査(センサス)からだ。大韓民国政府の樹立後、最初の総調査は1949年に実施された。センサス100年の歴史には韓国の発展史がそのまま表れている。
韓国戦争(朝鮮戦争)が終わって国家の再建が始まる頃の1953年、韓国の名目GDP(国民総生産)は477億4000万ウォンだった。当時世界経済1位の米国のGDPの0.12%にすぎなかった。その韓国が年平均17%の成長を続け、昨年のGDPは2556兆8574億ウォン(約271兆円)となった。70年余りで経済規模が5万3500倍に成長した。1人あたりのGNI(国民総所得)は1953年の67ドルから昨年は3万6745ドル(約5012万ウォン)まで増加した。特に2023年からは韓国のGNIが日本を上回っている。
輸出は1956年の2500万ドルから昨年は6838億ドルに拡大した。これは世界輸出の4.8%に相当し、世界6位の規模だ。産業構造の変化も大きい。1953年に農林漁業部門が産業生産に占める比率は48.2%だったが、2023年には1.5%に減少した。1987年の民主化以降、政治の安定と市場経済制度の確立は韓国の高速成長を支えた。
統計庁のセンサスによると、1949年当時の韓国の人口は2019万人だったが、2024年には5175万人へと約2.5倍に増えた。1960年代は3世代、さらには4世代が同じ家に暮らす風景があった。1955年の平均世帯構成員数は5.7人だった。韓国が産業社会に変わり、1980年に4.5人、1990年に3.7人、2005年に2.9人と減少した。2024年に1世帯あたりの家族数は平均2.2人にすぎない。
1945年の文盲率は約78%だった。成人10人のうち8人は文字を読んで書くことができない水準だった。2020年代には文盲率が0%に近い水準となった。基本教育の拡散と国家主導の教育改革のおかげだ。
1966年には韓国の博士取得比率は人口100万人あたり約35人だったが、昨年基準で国内博士取得者数は1万7528人で、人口100万人あたりの博士保有者は339人前後となった。ハーバード大ベルファーセンターの今年の韓国の総合先端技術ランキングは5位(25カ国比較)だ。
2025/08/19 13:31
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