#1.1965年5月、米ニューヨーク。現地を国賓訪問中だった朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が申東植(シン・ドンシク)米国船級協会検査官(現韓国海事技術会長)に会った。5・16軍事政変の直後、大韓造船公使技術顧問を務めた申検査官は当時、米国で各種船舶と海洋施設が技術条件などに合うかどうかを確認して認証する仕事をしていた。朴大統領が言った。「わが国は3面が海だが、船を建造するべきではないか」。重化学工業育成策の一環として造船産業を始める計画を抱きながら話したのだ。申検査官はすぐに帰国して青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)経済第2首席秘書官となり、造船工業発展計画に着手した。
#2.33年が経過した1998年6月、慶尚南道巨済市(コジェシ)玉浦(オクポ)造船所。米トランプグループのドナルド・トランプ会長が叫んだ。「あれはいったい何だ(What the hell is that)?」。世界で最も大きい、高さ103メートルの巨大クレーンを見ながらだ。トランプ会長は大宇グループの招待で訪韓し、大宇の主要事業場を視察していた。クレーンに上がって船舶建造の過程を見ながらも感嘆した。「アメイジンズ(Amazing)!」「ワンダフル(Wonderful)!」。その日、韓国の造船産業はトランプ大統領の頭の中に忘れられない記憶を刻んだ。
#3.朴正熙大統領が申東植検査官に会ってから60年が経過した今年8月26日(現地時間)、米フィラデルフィアのフィリー造船所。米国海事庁が発注した国家安全保障多目的船(NMSV、訓練・救助・兵力輸送などに幅広く使用される船舶) 「ステート・オブ・メイン(State of Maine)号」の命名式が開かれた。韓国と米国が協力して建造した船だ。演壇に立った李在明(イ・ジェミョン)大統領は「韓国の造船業が今はもう米国の海洋安保を強化し、米国造船業の復活に寄与する新しい挑戦の道に進むことになった」とし「韓米同盟は安保・経済・技術同盟が一つになった『未来型包括的戦略同盟』の新たな章を開くことになるだろう」と述べた。
技術も資本もなく造船産業の夢を育んでから60年。韓国は世界最高の技術国になった。米国がいわゆる「MASGA(米国造船産業復興)」プロジェクトと軍艦製造・整備のパートナーとして韓国に目を向けるほどだ。2010年代まで船舶受注・建造で韓国は世界1位だった。2020年代に入って量的な面で価格競争力を前に出す中国に劣勢になったとはいえ、液化天然ガス(LNG)運搬船のように先端技術が必要な高付加価値船は依然として韓国が世界最高だ。
◆朴泰俊氏、造船所候補地に蔚山を推薦
造船産業は我々がまさに無から有を創造したような事例だ。60年代後半に入って政府は造船業を育成しようとしたが、名乗り出る民間企業はなかった。支援を約束しても企業がためらうと、時には銀行の融資を減らすと圧力を加えたりもした。こうした中、鄭周永(チョン・ジュヨン)現代会長が決断を下した。鄭会長が築いた建設業のように造船産業も労働集約的という点に自信を得た。「造船は建設業での土木・建築機械設備・電気工事を結びつけたのと似ている」という考えだった。また、明敏な頭脳と誠実な労働力は国内にあふれていた。技術がなくても京釜(キョンブ)高速道路を建設しながら(68~70年)経験を得たように、技術を習得しながらつくるのは韓国人の特技ではなかったか。造船所候補地は蔚山(ウルサン)に決まった。当時の朴泰俊(パク・テジュン)浦項(ポハン)製鉄(現ポスコ)社長から「造船には厚くて重い厚板が必要だ。浦項に製鉄所ができるが、近い蔚山なら厚板物流コストを抑えることができる」という助言を聞いたからだ。
資金の確保は容易でなかった。国内に資金がなく借款を受けようとしたが、どこも「無謀な挑戦」として背を向けた。結局、鄭会長が挑戦精神を発揮して解決した。71年に英政府関係者と会い、500ウォン紙幣に描かれた亀甲船を見せながら「我々は16世紀に鉄甲船を建造した国」と説得して借款を受けることができた。同年末にはギリシャ船会社サン・エンタープライズのジョージ・リバノス会長と会い、造船所が建設される砂浜の写真と欧州企業から受けたタンカー設計図面を見せながら、当時では世界最大となる26万トンのタンカー2隻建造事業を受けた。蔚山造船所起工式(72年3月)が行われる3カ月前のことだった。
技術は欧州・日本の装備を導入し、現地研修で習熟した。容易ではなかった。設計図面などは閲覧だけが可能で、撮影やスケッチは認められなかった。「目で設計図面を覚え、ドックの実際の大きさを歩幅で測った後、夜に宿舎でたばこのアルミ箔紙にこれを描いた。これを下着の中に入れて韓国に持ち帰った」(『現代重工業グループ50年史』)。
造船所を建設しながら同時に船を建設した。造船所竣工(74年)とほぼ同じ時期に初めて受注した26万トン級タンカーを進水する異例の風景が見られた。この時期、韓国は「安くて丈夫な船を短期間で建造する」という評価を受けた。受注が集中した。蔚山造船所竣工9年目の83年、現代重工業は世界最大の船舶建造企業になった。10年後の93年、韓国は国別受注シェア46.4%で日本(31.7%)を抜いて世界1位になった。太平洋戦争当時にすでに空母を建造していた日本を上回ったのだ。
2025/10/13 14:39
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