14日午後、東京の心臓部の皇居。天皇の居住地を見ようと数百人の観光客が並ぶ長い列の間に空を刺すような大型クレーンが見える。東京海上ビルディングの再建築現場だ。皇居と東京駅(国家指定文化財)の間、「東京のウォールストリート」と呼ばれる丸の内を現在の摩天楼の風景にした1号建物だ。工事現場は皇居の出入口の桔梗門から300メートルほど離れていて、国指定特別史遺の江戸城外堀跡と道路1本を挟んでいる。高さ100メートルの建物を110.9メートル、地上20階・地下3階で新しく建設する。2028年8月に完工する予定だ。
東京海上ビルディングだけでない。上場企業145社が集まる丸の内一帯には最近、高層再建築ブームが起きている。皇居近隣の「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」地域と東京駅近隣で現在進行中の大規模工事だけでも9カ所にのぼる。東京駅の東側地域では37棟のビルを解体し、地上28階、地下4階、高さ223メートルの複合ビルを建設している。2029年に完工すれば商業施設・バスターミナル・公演会場などができる。東京駅の西側では2028年ごろ完工予定の「トーチタワー」の工事が進行中だ。高さ385メートル、地上62階規模で日本最高層ビルになるとみられる。
2000年代以降に2回執権した安倍晋三首相が景気浮揚のために規制緩和を前面に出して国家戦略特区政策に取り組んだことも高層開発を加速させた。最近は皇居と近いところは100メートル、遠ざかれば200メートルの高さで建てる「すり鉢状のスカイライン」が適用されている。東京都と千代田区、JR東日本と大丸有まちづくり協議会などで構成された官民協議体が設けた基準だ。東洋大学建築学科の大澤昭彦教授は「トーチタワーは200メートルというガイドラインから外れるが(ガイドラインには)都市の象徴性を創出するものは200メートルを超過してもよいという文言がある」とし「皇居とある程度の距離があり、反対側という点で皇居の景観に及ぼす影響は少ないと判断した」と説明した。丸の内の開発過程では景観毀損論争もあった。1960年代初め、東京オリンピック(1964年)を控えて都市再開発の必要性が提起され、東京海上が1918年に竣工した東京海上ビルディングを初めて再建築する際、当時の佐藤栄作首相が「皇居を見下ろすビルを建てるのは不敬」と反対しながらだ。結局、高さ128メートルで建設しようとした建物を100メートルに低めることで規制の壁を越えることができた。
◆市長が交代すれば高さも変わる…政治的判断に振り回された世運地区
世界遺産が多い京都でも似た論争があった。1994年、世界文化遺産に登録された仁和寺の前には延べ面積約5900平方メートル、地上3階・地下1階規模の高級ホテルが営業を控えている。もともと第1種住居地域で延べ面積3000平方メートル以上の宿泊施設は建設できなかったが、京都市は外国人観光客が増えると、2023年に特例規定を適用してホテル建設を初めて許可した。その代わりに「仁和寺と調和した美しい建物であるべき」という基準を提示した。
都市計画専門家、関西国際大の宗田好史国際コミュニケーション学部長(教授)は「景観レビューと呼ばれる住民参加制度を通じて地域住民と景観・まちづくり協議会(2008年)を作って17年間協議した結果、仁和寺の前にホテルを建設することができた」と説明した。
ソウル鍾路区(チョンノグ)宗廟前の世運(セウン)地区の時計は20年以上も停止している。21日に訪れた宗廟前の世運地区は都心の商業地域だが、老朽化が深刻で1960~70年代の貧困村を連想させる。計39の再開発区域のうち開発が終わった一部の区域を除いてほとんどの地域がスラム化していた。
宗廟の向かい側にある世運4区域(3万2222平方メートル)は荒れ地だった。2004年から整備事業を推進し、既存の低層建物を撤去してフェンスシートを設置しているが、工事は依然として停滞状態だ。その間、文化財関連審議が13回もあったが、高層ビル再開発と世界遺産の宗廟の景観保存をめぐり論争が繰り返されている。4区域の施行会社であるSH公社は土地補償費、賃借人移住費などで20年間に事業費7250億ウォン(約770億円)を投入した。その間350人余りだった土地などの所有者は相当数が高齢で死亡または現金清算を選択し、現在は約140人だけが残っている。世運4区域住民代表会議のキム・ジョンギル委員長は「住民が生きてこそ宗廟も保存される。民生を考慮する人は誰もいない」と訴えた。
世運地区がこのようになったのは一貫性のない行政も原因だ。ソウル市長が交代するたびに世運地区の高さが変更された。4区域の場合、李明博(イ・ミョンバク)ソウル市長時代の2004年、最高90メートルで再開発を初めて推進された。その後、呉世勲(オ・セフン)市長時代に122メートルとなったが、朴元淳(パク・ウォンスン)市長の時に71.8メートルに下がり、最近また141.9メートル(呉世勲市長)で推進して「宗廟大戦」に火がついた。
韓国の第1世代建築家キム・スグン氏が設計した世運商街を崩さずに保存するべきという主張、都市を東西に断絶する世運商街群を崩して公園を造成するべきという主張などがあった。
政治的論争でなく社会的な協議が必要だという指摘が多い。ソウル大建築学科のペク・ジン教授は「朴元淳元ソウル市長時代に世運商街を保存して再生事業を通じて活性化しようとしたが失敗しただけに、建物を撤去して緑地を軸にすれば都心活性化の新しい契機になる」とし「このために民間インセンティブに依存するのではなく中央政府も協力して支援し、高さを低めるなど論議の場が何よりも必要だ」と述べた。大澤昭彦教授は「世界遺産周辺の環境・景観がどうであるべきかについて市民、土地所有主、専門家、行政が一体となって議論し、方向性を共有する必要性がある」と助言した。
2025/11/25 14:44
https://japanese.joins.com/JArticle/341444