韓国の非常戒厳から1年、内乱はまだ進行中【寄稿】

投稿者: | 2025年12月19日

 「親愛なる国民の皆様、私は北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な北朝鮮追従の反国家勢力を一挙に清算し、自由憲政秩序を守るため、非常戒厳を宣布します」 。2024年12月3日夜10時23分、全国に生中継された放送を通じて「おかしな」声が流れた。「体制転覆を狙う反国家勢力の蠢動から国民の自由と安全、そして国家の持続可能性を保障し、未来世代にまともな国を譲り渡すため」、やむを得ず非常戒厳を宣布するという偽りだった。

 幸いにも、自由と正義、民主共和国を守ろうとした民主党議員と市民数千人が国会に集まり、憲法第77条5項に則り、わずか数時間で非常戒厳解除が議決された(12月4日)。 そして国会による尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領弾劾訴追が2度にわたる試みの末に成功した(12月14日)。

 あれから丸1年が過ぎた。この間、尹前大統領は拘束と再拘束を繰り返し、今は刑務所にいる。今年6月には李在明(イ・ジェミョン)政権が発足し、第1期特検3チーム(内乱、殉職海兵隊員C上等兵、キム・ゴンヒ特検)が6カ月間活躍した。

 ドイツの革新系日刊紙「ターゲスツァイトゥング(TAZ)」のファビアン・クレッチマー記者は韓国の内乱1年を振り返った記事で、「韓国の民主主義はこの12カ月間、最悪の危機を乗り越えたが、社会内部の分裂はいつにも増して深まった」と書いた。ちょうど9年前、朴槿恵(パク・クネ)-チェ・スンシル国政壟断局面で、市民が「ろうそくデモ」で朴槿恵大統領の弾劾を成し遂げた時、ドイツのマスコミ「ディー・ツァイト(Die Zeit)のマティアス・ナス記者が「韓国は民主主義の模範であり、これからは欧米各国はこの勇敢で情熱的な韓国国民から学ばなければならない」と書いたことを思い出させる。

 もちろん、一部の側面においては、今の韓国の民主主義は最悪の危機を乗り越えたかのように見える。もはや戒厳令のようなものは不可能になり、李在明(イ・ジェミョン)大統領選出以後、特検を通じて内乱犯たちを断罪することを越え、「国務会議」や「業務報告」の公開などで国家機関の「正常化」にも積極的に取り組んでいるからだ。

 しかし、筆者はクレッチマー記者とは異なり、「内乱はまだ進行中」であるうえ、韓国社会の内部分裂は12カ月間にわたる危機克服過程で深まったわけではなく、100年以上累積した資本関係の矛盾がまともに解消されない結果だと考えている。

 まず、クレッチマー記者は「政治的陣営間の分裂だけでなく貧富格差、世代間、地域間、性別間格差」を強調し、このような「韓国社会の不安定な状況は二つの主な指標でより明確にに確認できる」と指摘した。それは「すなわち経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最高の自殺率と最低の出産率」だ。興味深い指摘だ。ところが、この「不安定な状況」を招いたルーツは果たしてどこにあるのだろう。それは単に「分裂と格差」のような表面的現象ではなく、100年前の日本帝国主義に象徴される「資本関係」という深層の本質にある。

 資本関係は単に生産手段から労働力を分離する経済的次元を越え、自然生態系と人間を徹底的に切り離すだけでなく、村や隣人など共同体を解体し、各自が生き残りを図るばらばらの個人に断絶させることで、人々の心さえ良心を抑制して物欲を指向するように仕向ける。これを私は「4重のエンクロージャー」と呼ぶ。この4重のエンクロージャーが日本と米軍政、韓国戦争と李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)などを貫通し、現在まで続いている。その矛盾が金と権力に中毒されたシステムをもたらし、これが高い自殺率と低い出産率を生み出した。簡単に言えば、平凡な庶民たちが住みづらい世の中だ。

 内乱がまだ「進行中」ということは大きく3つの側面で確認される。一つは、尹前大統領を「王」に押し上げた「国民の力」は、まるで自らが内乱党であることを証明するかのように、依然として非常戒厳を通じた内乱事態についてきちんとした整理も反省も謝罪もしない。金と権力に目がくらみ、典型的な中毒行為(否定と嘘、統制と操作、白黒論理と二分法、混乱、支離滅裂など)に明け暮れている。甚だしくは国民の力のチャン・ドンヒョク代表は「私たちが尹錫悦」に近い話を繰り返している。この程度なら、国民の力は「権力は国民に由来する」という憲法第1条を真っ向から否定し、まるで「権力は国民の力をつぶしてこそ生まれる」と信じているようだ。「国民の力」という名前の政党(?)は、「国民の力」に背馳する。

 また、検察もやはり依然として内乱終息と社会正義の確立に力を尽くすより、自分たちの既得権を守ることに明け暮れている。単純窃盗や暴行のような事件には「一罰百戒」を掲げ、正義の剣を振り回す一方、内乱や複雑な経済的利権がかかった事件に対しては依然として右往左往している。内乱以前の状況ないし内乱が成功した時の方が、内乱が終息した時の方が(彼らにとって)よりはるかに得るものが大きいと勘違いしている。まだ(尹前大統領の妻)キム・ゴンヒ氏とノ・サンウォン元情報司令官の繋がりも明らかになっていない。

 そして裁判所を見よ。「稀代の論理」で尹前大統領と内乱犯の釈放に力を入れるチョ・ヒデ最高裁長官、チ・グィヨン判事、チョン・デヨプ裁判所事務総長はヤン・スンテ元最高裁長官に続き司法歴史に残る恥辱の標本だ。ハン・ドクス前首相、パク・ソンジェ前法務部長官、チュ・ギョンホ前国民の力院内代表などに対する拘束令状の棄却がその証拠だ。もっとも1905年の乙巳勒約の時から判事たちが世間を愚弄したことが横行したのだから、目新しいことでもない。昔からまわりの大人たちが子どもたちに「判事か検事になるんだよ」と吹き込み続けた理由が、分かるような気がする。この悲しい論理が私たちにとっては慰めという事実自体が韓国の悲劇だ。

 このように内乱が依然として「進行中」と言っても問題は残る。まずは、30%前後の国民が極右の狂信教集会に参加し、「私たちが尹錫悦」「我々がファン・ギョアン」のような、「おかしな」声を上げるという点だ。一方、李在明政権は今回の事態を社会改革程度に解決できるとみているようだが、実はこれも問題だ。改革が「皮をむくこと」と強調する大統領さえ「資本の皮」に閉じ込められている。事態の根本原因である資本関係に正面から向き合えない。これをきちんと認識できない限り、矛盾と対立が別の形で再生産される。また、資本関係を止揚してこそ複合危機が解決されることを認識できなかった多くの市民たちも、やはり問題の一部だ。不都合だが直視しなければならない真実だ。サンテグジュペリの『星の王子さま』で、キツネが王子さまに言った言葉を思い出そう。「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」

2025/12/18 19:35
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/55007.html

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