鳥取砂丘で有名な鳥取県は、人口減少と戦う「最前線」にいる。人口は日本の都道府県で最少の約53万人だ。
今年で就任17年目となる鳥取県の平井伸治知事は、少子化と戦う「司令塔」の役割を担っている。2007年の知事就任の翌年、鳥取県の出生率が過去最低を記録したことを受け、2年後の2010年、「子育て王国とっとり建国宣言」をした。5期目を迎えた現在まで、保育料無償化や不妊治療支援など、少子化対策のあらゆる手段を導入してきた。
出生率は向上し、2022年は1・60と全国3位となった。人口減少や出生数の低下傾向は続いているものの、昨年7月、岸田文雄首相が視察したほど鳥取県の子育て政策は日本の先進例として注目されている。
今月8日、平井氏にインタビューを行った。平井氏は「大学進学などで(鳥取を)離れていった若い女性たちに戻ってきてもらえるようにする環境整備が大切だ」と語る。また、「子どもに直接現金を支給するような政策はあまり効果がなく、出生率向上に結び付くような子育て政策に重点投資をすることが大切だ」と話した。
–「子育て王国建国」後、出生率は向上した。その秘訣は。
「子育て政策に重点的な投資をしてきた効果が大きい。例えば、保育料の無償化について、(10年前に)鳥取県内で最も消滅可能性が高い自治体に挙げられていた若桜町と費用を折半して導入した。すると若桜町に子育て世代の移住者が来るようになった。また、晩婚化によって不妊治療の重要性が増しているので、手厚い支援制度を導入すると、40代の出生数が増えた。子育て政策にはポイントがあり、そうした政策に重点投資をすることが大切だ。子どもに直接現金を支給するような政策は、あまり効果がないと思う」
–長年の努力にもかかわらず、人口減少は続いている。
「効果が出るような方策をいろいろ試行錯誤して探っていくことが重要だと思う。鳥取は鳥取砂丘など自然が豊かで、良い子育て環境がある。2022年に全国で唯一出生数が上がったが、その理由の一つは子育て世代の移住者が増えたことだ。我々の子育て政策など子育てに良い環境を評価してくれたのではないかと思う」
–韓国も少子化問題が深刻だ。
「私は2008年から日韓知事会議に参加して、韓国の知事や市長と意見交換を重ねてきた。両国が共通する少子化問題の背景として、ソウルや東京への人口一極集中がある。20代、30代の子育て政策の声は、これまであまり政策に反映されてこなかった。鳥取県は『とっとり若者活躍局』を設置し、高校生から30代までの若い方々から意見を聞いている。こうした世代の声を予算に反映させることで、子育てや移住政策に結び付けたいと考えている。若い方々がジェンダーに関わらず活躍でき、安心して子育てできる社会を作り上げていくことで、首都への一極集中を分散化する必要がある」
–ジェンダー平等や、仕事と家庭の両立可能な職場作りを推進してきた理由は。
「自治省(現・総務省)職員時代、米国に派遣され、女性が活躍する社会を見ていた。なぜ日本ではできないのだろうと感じ、知事として女性管理職を増やそうと決断した。知事就任前、『女性には議会での答弁はできず、部長を務めるのは難しい』という見方があった。私は人事権者の裁量を発揮して、少しずつ課長や(議会答弁を行う)部長を増やしていった。
現在、鳥取県の女性管理職の比率は約25%で8年連続全国トップだ。男性の育児休業取得率も全国トップレベルに上っている。試行錯誤の結果、男性職員が育休を取得するための計画シートを導入したら取得率が上昇した」
–計画シートはどのように作成するのか。
「育休取得の数カ月前から、休暇中の仕事を職場内でどう分担するかについて管理職とともに事前に計画を立てるものだ。取得率は7・3%(2018年)から44・2%(2022年)と大幅に伸びた。また、『イクボス』について、若い職員からの評価を踏まえてイクボス度を査定している。『イクボス』の点数が高い人はボーナスをアップした」
–県庁の取り組みによって波及効果もあったか。
「県内の市町村や経済界も女性管理職の割合は全国トップクラスになった。他の都道府県より子育て世代の女性の離職率も低く、子育てしながら働けると実感してもらっていると思う。やってみれば結果はついてくる。韓国語で言えば『シジャギ パニダ(まず始めることで半分は成功との趣旨)』という領域だろう」
–韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は「低出生対応企画部」の新設を明らかにした。
「政府が主導する意味は大きいと思う。日本も昨年、『こども家庭庁』を設置した。国がリーダーシップをとることは重要だ。日本も韓国も中国も人口減少が進んでいる。若者が子育てを負担に感じるようになっており、価値観の転換が必要だ。韓国の『低出生対応企画部』設置を契機に、東アジアの課題をともに考えるチャンスにできればいいと思う」
平井伸治・鳥取県知事
1961年東京生まれ。東京大法学部後、自治省入省。1999年、鳥取県総務部長に就任し、鳥取との縁が生まれる。2001年、全国最年少(39歳)で鳥取県副知事に就任。鳥取県での約6年間の勤務を通じて、自然豊かな鳥取に愛着を持つようになったという。2006年、自治体国際化協会ニューヨーク事務所長時代、知事選への出馬を要請する声を受け、2007年、無所属で出馬、当選。現在5期目。2021年~2023年、全国知事会長として日本政府のコロナ対策や少子化対策関連の会議に出席し、積極的に現場の声を伝えた。著書に「小さくても勝てる」、「鳥取力」など。
2024/05/24 08:39
https://japanese.joins.com/JArticle/319051