「声をとても大事にしながら、声を下に閉じないで」
先日18日、東京の四谷地域センターの音楽室。年配の日本市民20人余りがピアノの伴奏に合わせて「イーエーアーエーイー」と繰り返し、声を整えていた。「体の前面の下に音を閉じず、肩の上から遠くに音を放つと思ってください。誰かに話しかけると思って、そして音をつなげていくと思って」
20年以上にわたり日本の市民社会の「うたごえ運動」を支援してきた声楽家の堀井泉さんが、彼らを巧みに指導しながら率いていた。堀井さんは「韓国語が分からない日本人の観客たちにも、真心を込めて歌えば必ずその思いが伝わる」と強調した。彼らがすでに様々な舞台で歌ってきた「松よ松よ青い松よ」(アン・チファン作詞・作曲)を歌いながら、「格子の下に私が埋まった場所/生きて会おう(…) 民衆の魂が主人となる真の世界の自由のために」という部分で、素晴らしいハーモニーを奏でた。「口から声を出すだけでなく、私たちが望む世界が見えるかのように、もう少し積極的に感情を込めてほしい」という堀井さんの注文が続いた。
さらに、最初の練習曲「まさにあなたでした」(チェ・ギョンスク作詞・作曲)が音楽室に鳴り響いた。「絶望の中でも希望の花を作りました まさにあなた、あなたでした/そんなあなたがここにいるから、そんなあなたが生きているから/この世界の何もかもが、この世界の誰もが/ 再び歩き、立ち上がることができます」。日本人が発音しにくい「パッチム」が多い歌詞にもかかわらず、違和感が感じられず、むしろ歌詞が伝えようとする感情がそのまま伝わってきた。ほとんどの団員が韓国語を学んだことがなく、どれだけ練習を積んだのかが想像できる歌声だった。
この日、2時間ほど韓日の民衆歌謡を練習したのは、日本の市民で構成された「いろそら!合唱団」。2013年に日本の東京で行われた5・18光州(クァンジュ)民主化運動を題材にしたミュージカル「華麗なる休暇」の公演を支援していた人々が集まり、合唱団を作った。当時の公演中に流れた叫び「いろそら」(立ち上がれ)が合唱団の名前となった。この合唱団は、80年以上前に日本の労働界と市民団体が作った全国的な歌運動の「うたごえ運動」に根ざしている。
この運動は、太平洋戦争の敗北後に経験した戦争の苦しみと、愛する人を失った悲しみを癒し、新たな平和を語るために始められた。1948年2月、日本の声楽家であり「プロレタリア音楽同盟」の委員長を務めていた関鑑子さんが中央合唱団を設立し、活動が本格化した。彼らの歌の中には「原爆を許すまじ」をはじめ、沖縄返還闘争の先頭に立った「沖縄を返せ」などの歌が全国で広く歌われた。「うたごえ運動」の連絡協議体である「うたごえ全国協議会」(以下、協議会)が開催する市民合唱大会「うたごえ祭典」には、最近でも400以上の合唱団が参加している。
1998年に日本の東京で開催された「うたごえ運動創立50周年記念祭典」には、ソン・ビョンフィさんなど韓国の民衆歌手も参加した。1999年には協議会側の合唱団が5・18記念行事に招待され、「朝露」を歌った。これは「日韓シャトル音楽公演」の足掛かりとなった。
「立ち上がれ」合唱団の山田博樹事務局長は、「チョン・ユハ教授(全南大学)が韓国の民衆歌を韓国語で歌う日本人合唱団があることを知り、連絡してきて以来、2015年から現在までコロナ禍の時期を除いて5・18追悼期間中に日韓交流公演を行っている。今でも『岩島』や『織姫に』を歌った民衆歌手キム・ウォンジュンさんや、5月母の家などと交流を続けている」と語った。
当日の「いろそら!合唱団」の練習曲には、韓日の民衆歌謡がいくつか含まれていた。韓国の民衆歌謡トリオ「セヨウル」の歌「まさにあなたでした」や、キム・ナムジュ詩人の詩に曲をつけた「道」をはじめ、日本の民衆歌「誓い」を今年の光州の舞台で新たに披露するため、猛練習を重ねた。
山田事務局長は「いろそら!合唱団にとって光州は心の故郷であり、毎年5月に光州を訪れることは一種の『懐かしの故郷訪問』」だとし、「最近は若い世代の参加者が増え、音楽を媒介に光州を訪れる『懐かしの故郷訪問』を必ず続けていきたい」と語った。
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