「日本は36年間、韓国人に多くの利益を与えた。日本が(占領)していなかったなら、中国やロシアが進出してさらに悲惨な状態になっていたかもしれない。概して36年間、(朝鮮は)資本主義経済構造の下で平等に扱われた」
「まるで日本が占領しなければ韓国人は寝ているだけだったという前提で話しているのか。韓国人は自ら近代国家を築いただろう。(朝鮮を平等に扱ったというなら)なぜカイロ宣言に『韓国人民の奴隷状態』という表現が盛り込まれたのか」
韓日国交正常化に向けた第3次韓日会談(1953年10月6~21日)。日本側首席代表の久保田貫一郎が植民地支配の違法性を否定し、逆請求権を主張すると、韓国側代表の洪鎮基(ホン・ジンギ)(法務部法務局長)が一つ一つ反論した。韓国側は久保田の発言を会談精神を損なうものと規定し、会談を中断した。その後、会談は4年半にわたり開かれなかったが、李承晩(イ・スンマン)大統領は帰国した維民(ユミン、洪鎮基の雅号)ら韓国交渉団に「よくやった」と激励した。日本は1957年12月、久保田発言と逆請求権主張を撤回した。
韓国側代表団は、3年に及ぶ韓国戦争(朝鮮戦争)で国土が焦土と化した最悪の状況の中で日本代表団と対峙し、「韓国が日本に財産請求権を持つなら、日本も植民地時代に韓国にあった日本人財産について権利を主張できる」という逆請求権論理を退けた。当時の交渉団はまさに「ドリームチーム」と呼べる存在だったが、その中心には「解放の法理」を掲げて日本を圧倒した維民・洪鎮基(1917~1986年)(以下、雅号「維民」を中心に用いる)がいた。いわゆる「久保田暴言」に反論した当時、維民はわずか36歳だった。維民は後に法務部長官、内務部長官、中央日報会長を歴任した。
現代日本学会(会長チョ・ヤンヒョン)はソウル大学日本研究所(所長パク・ジファン)と共に12日、ソウル大学国際大学院で「韓日国交正常化60周年の再照明と新たな展望」をテーマとする2026年春季学術会議を開き、解放後初期の韓日会談の過程と維民の役割を振り返った。
民主平和統一諮問会議の姜昌一(カン・チャンイル)首席副議長(元駐日大使)は祝辞で、「維民は植民地時代に生まれ、徹底した皇民化教育を受けて育った」とし、「日本統治時代に高等文官試験に合格し判事を務めた人物でありながら、韓日会談では極めて明快かつ博識な法理によって日本当局者を窮地に追い込んだため、『反日主義者』と思えるほどだった」と評価した。柳弘林(ユ・ホンリム)ソウル大学総長は祝辞で、「韓日国交正常化以前の交渉過程で、維民先生がどのような問題意識を持ち、どのような役割を果たしたのかを振り返ることは、韓日関係の歴史的形成過程をより立体的に理解する契機になるだろう」と述べた。
会議では、解放後に「米軍政が韓半島(朝鮮半島)に残された日本人財産を没収して韓国政府に引き渡した措置を認めるべき」という内容がサンフランシスコ平和条約(第4条b項)に反映される過程で、維民が果たした主導的役割について集中的な評価が行われた。
維民の業績を外交的・国際法的観点から体系的に考察した『維民・洪鎮基と対日外交』(中央ブックス、10日刊行)の著者4人が発表者として登壇した。
李元徳(イ・ウォンドク)国民大学教授は、「日本は、戦勝国であっても敗戦国民間人の私有財産を没収できないとするハーグ陸戦条約第46条を根拠に、韓日会談で請求権問題を提起した」とし、「維民は原状回復原則の法理論に基づき、韓国の独占的財産請求権を提示してこれに反論した」と指摘した。
さらに、「維民が韓日会談前にサンフランシスコ平和条約へ『米軍政の指示によって行われた日本および日本国民の財産処分(米軍政が没収し韓国政府へ引き渡した行為)の効力を認める』という第4条b項を追加していなければ、韓日間で甲論乙駁する混乱が続いていただろう」とし、「彼は脆弱な新生大韓民国の生きる道を切り開いた人物だ」と評価した。
維民が掲げた「解放の法理」に対する評価も示された。韓国は戦勝国ではないが植民地支配から解放された国であり、韓国の帰属財産問題は一般的な占領地財産処理とは異なる次元で理解されるべきだという論理だ。これは、韓半島に居住していた日本人の私有財産権を保障すべきだという日本側の逆請求権主張に反論する韓国の「帰属財産所有処理」論理を支える根拠となった。
パク・ギョンミン国民大学教授は、「解放の法理は韓国の経済主権を説明し、国際的権利を主張する外交論理だった」とし、「解放後の国家アイデンティティ確立と韓日関係形成過程を理解する上で重要な意味を持つ」と述べた。
パク教授は「維民は韓国の帰属財産問題を、解放国家の経済主権の問題として再構成した」とし、「解放の法理を韓国外交史における重要かつ記念碑的な場面として検討する必要がある」と強調した。
パク・テギュン・ソウル大学教授は、「日本とは異なり、韓国人法律家たちは反軍政の雰囲気の中で軍政法令の研究に没頭しなかった」とし、「帰属財産問題は米軍政の法令が十分でなかったこともあるが、韓国法学界が積極的に対応できなかったために生じた側面もある」と指摘した。
また、「維民は解放後、韓日問題をはじめとする国際関係を解決していく上で、韓国の準備不足を指摘していた」とし、「維民の苦言は今なお重要な意味を持つ」と強調した。
維民が平和統一案を韓国政府の公式統一案として初めて提示した公人だという評価も示された。
中央日報の李夏慶(イ・ハギョン)論説委員は、「北進統一が政府の公式方針だった時代に、維民が作成した『韓国統一に関する14原則』は、建国後に政府・民間を通じて初めて体系化された『平和統一』案だった」とし、「これは1954年のジュネーブ極東平和会議で西側諸国の交渉案として承認され、韓国が国際社会に韓半島の平和統一案を提示し受け入れられた最初の事例となった」と述べた。
さらに李論説委員は、「1954年に結成された野党・民主党もこれを大部分受け入れ、党の統一案とした」とし、「維民の案は党派を超えた初の挙国的統一案だった」と評価した。
維民が久保田の暴言を論破したことについて、討論者として参加した東京大学の和田春樹名誉教授は、「維民の声は、日本人の意識を改めるための闘争の最初の火花となった」と評価した。
また、東京大学の木宮正史名誉教授は、「維民は日韓交渉に臨みながら、現実を切り開いていく新たな論理として『解放の法理』を打ち出したと見ることができる」と指摘した。
ソウル大学法科大学院の李根寛(イ・グングァン)教授は、「国際法理論およびサンフランシスコ平和条約第4条b項の起草に対する維民の貢献については、体系的な再評価が必要だ」と述べた。
また、東北アジア歴史財団国際関係研究所のチョ・ユンス所長は、「解放の法理は、日本の逆請求権を封じ、帰属財産問題を韓国の主権的処分として確定したという点で、外交・法理上の成果として評価できる」と語った。
2026/06/15 16:01
https://japanese.joins.com/JArticle/350554