#1.10日ほど前、東京に短期出張に行ったところ、2つのことに驚いた。最初は銀行のATM。銀行のキャッシュカードを入れたが、現金を引き出せなかった。ATMの隣にあるインターホンで問い合わせると「(外国人)在留カードの満期が1カ月過ぎているので、更新された在留カードを持って窓口に来てほしい」と言われた。以前には考えられなかったことだ。1カ月どころか、すでに10年前、20年前に在留資格が停止してもその情報が銀行と共有されない国が日本だった。システムが別々だった。このため古い銀行口座、運転免許証、医療保険証もそのまま使用が可能だった。今でもそのままだと思っていた。韓国の住民登録証にあたる「マイナンバーカード」の導入、そして行政システムのIT統合化がもたらした驚く結果だ。
2つ目は銀行の窓口の対応。引き出せないので口座を解約してお金を受け取っていきたいと伝えると、職員は「通帳開設時の印鑑の提示」を求めてきた。「20年以上も経っているのに、当時の印鑑がどこにあるだろうか。何よりも本人が直接訪問しているのにお金を返すべきではないのか」と問いただしても「マニュアルにそうなっている」と言って丁寧に断る。AI時代に印鑑のパワーが本人または身分証よりの上である国だ。大きなシステムは変わったが、現場のマニュアルはそのままだった。90分間のうんざりする攻防の末、支店の責任者が出した折衷案にあきれた。「では他の印鑑を何でも探して来てください」。彼らに必要なのは責任を避ける手段だった。それを知って根気強く言い張れば退くことができる国が日本だ。よく言えば話が通じる国だ。終始高圧的な北朝鮮や中国とは違う。
#2.これは韓日外交にも示唆するところがある。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権に入って両国関係の大きな枠組みは劇的に変わった。システムが大きく変わったのだ。しかし外交現場のマニュアルはそのままだ。国交正常化60年を迎える来年が問題だ。韓国は1998年の金大中(キム・デジュン)-小渕宣言に匹敵するような画期的な共同宣言を希望する。しかし日本はそれほど積極的でない。共同宣言を出すには過去の問題に言及しないわけにはいかず、謝罪の程度と表現をめぐっても駆け引きをすることになるからだ。「これ以上の謝罪は不可能」というマニュアルの中で、日本外務省の官僚らが率先して取り組む可能性は極めて低い。たとえそうするとしても、その水準は韓国国民を満足させることができないだろう。
ではどうするべきなのか。彼らの責任を減らしながら同時に代替案を用意させる「プッシュ」が必要だ。私はそれが日本の尹大統領の国賓招請だと考える。韓国大統領の国賓訪日は全斗煥(チョン・ドゥファン、1984年)、盧泰愚(ノ・テウ、90年)、金大中(キム・デジュン、98年)、盧武鉉(ノ・ムヒョン、2003年)がし、過去21年間は行われていない。何よりも来年22年ぶりに国賓訪問をすることになる場合、日本の天皇と会うことになり、この時に「おことば」と呼ばれる天皇の両国関係に関する発言が出てくる。天皇の口からの過去に関する発言は重量感が違う。また自然な流れでそれに合わせて両国政府間でも共同発表文が出てくる公算が大きい。そこに盛り込めない話があれば日本の議会で演説できる。一言で、形式や責任の面では日本の外務省や政治家が半歩退き、我々としては60周年にふさわしい結果をほとんど得る形になる可能性がある。国内の「親日屈従外交」攻撃からも抜け出すことができる。
ただ、年に国賓招請を2回以内に制限する日本の慣例上、やや急ぐ必要はある。米国の新大統領の国賓訪日を優先する可能性があるからだ。来年春の大阪万博の韓国館オープンに合わせて訪問したり、新しく選出された日本首相の靖国神社参拝を牽制できる戦略的な時期の選択もよいだろう。もう一度言うが、日本は言い張ってこそ退く。いや、言い張るというより引かずに説得すればよい。従順に「よい」人のように振る舞えば彼らは何も出してこない。習慣的慣性だ。最近の韓日外交結果を見てもすぐに分かる。
金玄基(キム・ヒョンギ)/論説委員
2024/09/12 15:55
https://japanese.joins.com/JArticle/323660