日本の舞鶴の真夏は蒸し暑くて静かだった。1901年に日本海軍鎮守府が設置された舞鶴は海の京都と呼ばれる。宿所のある西舞鶴から汽車に乗って東舞鶴に移動した。80年前の歴史の現場に近づきたかった。
1945年8月22日、解放された祖国に帰るために朝鮮人被徴用者とその家族数千人が青森県の大湊港から釜山(プサン)港に向かう日本の海軍輸送船「浮島丸」に乗り込んだ。しかし、2日後、この船は突然の爆発で舞鶴湾で沈没した。韓国人が乗船した日本国籍の船舶が、日本の沖合で爆発して沈没したのだ。500〜1000人が犠牲になり、事件の真実も彼らと共に海に沈んだ。
当時、日本政府は「機雷による事故」だと発表した。だが、その後発見された日本海軍文書には、浮島丸に爆薬が積んであり、出港前に海に投下するか、陸上で処理しろとの命令があったという記録が存在する。この文書が事実なら、浮島丸の爆沈は単なる機雷事故ではなく、人災である可能性を示している。
最近、日本政府は乗船者全員の名簿を韓国政府に提供した。しかし、これまで真相究明はまともに行われていない。韓国では行政安全部傘下の「強制動員被害調査委員会」が調査を試みているが、日本政府は関連軍文書を十分に公開していない。舞鶴市と京都府が建てたささやかな慰霊碑のほかに、日本政府レベルの謝罪や責任に関する表明はなかった。
この事件は、韓日両国がより真剣かつ誠意をもってともに扱っていかなければならない。日本外務省、防衛省、舞鶴海上自衛隊、韓国外交部などが共同調査委員会を構成し、既存の海軍文書と事故関連資料を透明に公開しなければならない。必要なら、国連人権機構などの国際機関の協力も検討しなければならない。
浮島丸はただ一隻の船ではない。その船に乗った人々は生きて帰れるという希望を胸に抱いていたのだろう。その希望はなぜ粉々に砕かれたのか。その質問に今まで誰もまともに答えていない。船の沈没原因は爆発だ。それでは爆発の原因は何か。
真実は時間が経ったとしても消えるわけではない。むしろそれから目をそらした時間が長いほど責任の重さはさらに大きくなるだけだ。舞鶴沖に沈んだ真実、もう引き揚げなければならない。
2025/07/21 18:38
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