非可逆的(Irreversible)という用語は一度発生すれば元に戻らない現象を意味する。自然科学で使う時は変化の方向性を内包する。木を燃やせば二酸化炭素と灰になるが、これで紙をまた作ることはできない。冷水と熱湯を混ぜればぬるくなるが、自らまた分離しない。この言葉は時々、社会的にも使われるが、方向よりも元に戻らないという結果が強調される。韓米が北朝鮮の核廃棄原則として明らかにしたCVID原則のうち「I」は元に戻すことはできない(Irreversible)という意味だ。国内では非可逆でなく不可逆と翻訳された。朴槿恵(パク・クネ)政権当時に締結した韓日間の慰安婦合意も「不可逆的」と釘を打った。
「1979年末から進行された戒厳状況が2024年にまた展開されるのを見て衝撃を受けた」。6日(現地時間)、作家の韓江(ハン・ガン)氏がノーベル賞受賞のために訪問したスウェーデンのストックホルムで開かれた最初の記者会見で述べた言葉だ。代表作『少年が来る』で叙述した状況が先週韓国で発動された非常戒厳と重なり、世界の大きな関心を集めた。韓江氏だけではない。我々すべての国民が「ハナ会」解体以降の民主主義確立の努力のため、クーデターは発生しない不可逆的な段階に入ったという自負心を持っていた。ところが一瞬にして崩れてしまった。銃を持った軍人が国会に乱入し、主要人物に対する逮捕組が闊歩し、選管委が急襲された。北朝鮮が汚物風船を飛ばせば原点を打撃しろという前国防部長官の指示があったという暴露も出てきた。事実なら戒厳のアリバイのために局地戦も辞さないという意志ではないのか。お粗末な準備と一部の軍人の抗命、国会の迅速な対処で戒厳の試みは150分で失敗に終わった。しかし成功していれば半世紀前の状況のように我々は常時検閲と逮捕、拘禁と拷問の脅威に苦しむことになっていたという考えにぞっとする。
尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は就任前から非常識で衝動的なことをしても、謝罪や釈明なくうやむやにすることが多かった。大統領選候補当時、手に「王」の字を書いて放送討論に出てきた姿がカメラに映ると、「近所の人が書いてくれた」と言い逃れた。側近の議員に与党代表をうまく追い出したとして絵文字をを送ったことに対しては「すでにこぼれた水」といったのが全部だ。夫人のブランドバック授受には「断れない人」と言って通過した。このようなことがすべて容認されれば、「私の所信のためなら憲法破壊程度は特別なことではない」と判断する状況にいたるようだ。このため今回の戒厳宣言が内乱に該当するという証拠が引き続き提示されても、数日間にわたり謝罪の一言もなかった。弾劾表決が目の前に近づくと、やむをえずに出した1分の謝罪でも「不安と不便を与えて申し訳ない」としただけで、憲政秩序の蹂躪を認めて謝罪することはなかった。今回もごまかして済ませるのではという疑いを消すことができない。次はこれよりさらに大きなことが生じるかもしれない。
たとえ尹大統領ではないとしても、誰かは見ているはずだ。「私ならあのように粗雑にせず成功できたはず」という陰険な考えを抱く可能性もある。憲法破壊の学習効果だ。割れた窓ガラスが散っている地域には虞犯者が多いものだ。結局、反憲法と違法に対して厳正に捜査して処罰しなければいけない。そうしてこそ本人はもちろん、他の人もとんでもない考えを抱かなくなる。
物理学で非可逆的は他の変数がないという条件が必要だ。湯は冷めるものだが、外部から熱を加えれば再び沸き出す。我々が民主主義の非可逆性を作っていく過程も同じだ。クーデターが可能な変数を一つずつ除去し、気に入らなくても憲法と法律が定めた手続きを守るしかない状況を作るのだ。ところがあれこれの理由で変数を容認して違法をそのままにして済ませば、どこに跳ねるか分からない不安定な状況に直面することになる。果たしてこのようなものを「秩序正しい収拾」といえるだろうか。
チェ・ヒョンチョル/論説委員
2024/12/09 15:20
https://japanese.joins.com/JArticle/327189