韓日の掛け橋なった義人・李秀賢さん…父親続いて母親も日本政府から勲章受章

投稿者: | 2025年4月17日

「手を握ることはできませんが、いつも一緒にいるようです」

24年前の言葉だが、断腸の思いは変わらない。2001年1月26日午後7時ごろ。東京新大久保で線路に落ちた日本人を助けようと飛び降りた義人・李秀賢さん(1974~2001)。26歳で先立った息子の話に母親の辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(75・LSHアジア奨学会名誉会長)は大粒の涙を落とした。

 

16日、東京アルカディア市ヶ谷ホテル。白髪交じりの人々が一人二人と行事会場に入っていった。辛さんが昨年12月に日本政府から受章した旭日双光章を祝うための会だ。日本政府は関係増進や文化交流に尽力した外国人に同勲章を授与しているが、2015年夫の李盛大(イ・ソンデ)さんの殊勲に続く2人目だ。日本政府が夫婦に勲章を与えたのは前例のないことで、この日の祝宴には約1万円の自費を払って出席した日本人約60人が同席した。

祝賀行事に先立って辛さんに会った。辛さんは「息子の事故が起きて主婦だった私の人生は一変した」とした。深い悲しみに沈んでいた辛さんに2000通に達する手紙が届き始めた。すべて日本からの手紙だった。「配達員に申し訳ないほど」だったが、日本語が分からない辛さんは返事を書くために日本語の勉強を始めた。「深いうつ病を患ったが日本の方々がはじっとさせてくれなかった」と言って涙を拭いた。

夫の李盛大さんは翌年日本からの弔慰金で息子の名前を冠した奨学会を創設した。LSHアジア奨学会だ。日本に留学したアジアの学生50~60人に毎年奨学金を与えているが、今まで1200人がこの奨学金を使って勉強した。2019年夫が先立ち、辛さんは名誉会長に就任した。

辛さんは勲章授与の頼りが届いたとき、最初は面食らったと打ち明けた。勲章を受けてもいいのだろうかと思ったということだった。そうしているうちに頭によぎったのは、辛さんと一緒に奨学会を助けていた通訳ボランティア団員だった。「私の名前でいただいたが、韓日交流に関係ある人々にいただいたものということで、本当に意味があるという気がした」と言った。勲章を手にとって見せた辛さんは再び息子の話に戻った。「息子が韓日両国友好の一人者になるという言葉を残して行った」として「だから私も健康が許す限り、一緒にやっていこうと思う」と話した。

一方、この日行事で、出席者は李秀賢さんの動画と共に奨学金を利用した学生の動画メッセージを一緒に視聴した。

首相を務めた日韓議員連盟の菅義偉会長は別途祝辞を送った。菅会長は「日韓の掛け橋になった李秀賢さんの献身的で勇気ある行動、そして息子さんの意志を受け継いで日韓青少年の交流に努めてきた故李盛大さんと辛潤賛名誉会長の努力の賜物」と評価した。赤門会日本語学校の新井時賛理事長は「日韓国交正常化50周年を迎えて父親が、60周年を迎えて母親が勲章を受けることになり格別な意味がある」と意味付けした。日韓親善協会中央会の河村建夫会長は「日韓関係は今までなかったほど良い状況にあるというが、ここにはやはり高貴な犠牲があったことが大きな力だった」としながら「その高貴さを決して忘れてはいけない」と述べた。

2025/04/17 13:22
https://japanese.joins.com/JArticle/332684

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