セウォル号の黄色いリボンつけ弱者を慰めた教皇…「苦しみの前で中立守れない」

投稿者: | 2025年4月22日

 「死去の知らせを聞いて、涙が出ました。セウォル号真実究明のために闘かってきたこれまでの11年間の中で、最も信頼でき、また最も大きな力と慰めになった方です」

 セウォル号惨事の犠牲者キム・ユミンさんの父親、ヨンオさんは21日、ハンギョレとの電話インタビューで、2014年8月に胸に黄色いバッジをつけて現れた教皇フランシスコの姿を思い浮かべながら涙を流した。惨事が起きてちょうど4カ月が経った日、真相究明を求め34日間にわたりハンガーストライキ中だった残酷な瞬間に、教皇がヨンオさんを訪れた。2014年8月14〜18日、4泊5日の日程で韓国に滞在する間、教皇の胸にはセウォル号、惨事を記憶する黄色いリボンがついていた。

 教皇フランシスコがこの日、バチカンで死去したというニュースを聞いて、セウォル号惨事の被害者や龍山(ヨンサン)惨事の被害者、双龍自動車の整理解雇労働者など、教皇に慰められた韓国社会の弱者たちは「まだ多くのことができる方なのに」と、残念な気持ちを隠せなかった。

 教皇フランシスコは訪韓期間中、気さくな姿で韓国社会の多くの弱者に手を差し伸べた。どっしりとした防弾車ではなく、起亜自動車の軽車「ソウル」に乗っていた教皇は、2014年8月15日、大田(テジョン)でミサを執り行う前に、セウォル号惨事の遺族らに会い、黄色いリボンを胸につけた。16日、ソウル光化門(クァンファムン)広場で開かれたカトリック殉教者の列福ミサの際は、遺族を見つけ、車から降りてハンバーストライキ中だった「ユミンパパ」ヨンオさんと握手をした。18日にはソウル明洞聖堂で日本軍慰安婦被害者、双龍車解雇労働者、済州(チェジュ)江汀(カンジョン)村住民、慶南密陽(ミルヤン)送電塔建設予定地域住民、龍山惨事被害者などと共に「平和と和解のためのミサ」を執り行った。

 当時、双龍車解雇労働者だった民主労総のハン・サンギュン元委員長は「2014年、長い闘争をした同志たちが突破口を見出せずにいる時、教皇フランシスコが野蛮の秩序に警鐘を鳴らして下さった」とし、「教皇の大切な一言で絶望を乗り越えて立ち上がった」と話した。ハン元委員長は「依然として野蛮の世界が広がる時点で、さらに低いところで苦しんでいる民衆の手を握ってくださらなければならない方なのに、とても残念だ」と付け加えた。

 龍山惨事の遺族であるユ・ヨンスクさんは、韓国社会のすべての弱者たちを慰めた明洞聖堂のミサを思い出した。「その日、ミサを捧げるだけでも大きな慰めになりました。とても良い記憶なので、忘れられません。とても悲しいです」

 韓国社会の弱者たちにあまねく目を配った教皇フランシスコはバチカンに戻る飛行機で、「セウォル号遺族たちに近付いて慰めた行動が、政治的に誤解されるかもしれないという懸念はなかったか」という質問にこのように答えた。「人間の苦しみの前に立つと、心の言うとおりにせざるを得ません。人間の苦しみの前で、中立を守ることはできません」

2025/04/21 22:10
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/53003.html

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