韓国軍・日本自衛隊の「連合サッカー」話題に…2002東ティモール「ミニW杯」(2)

投稿者: | 2025年7月27日

◇批判起きると日本の部隊長「すばらしい指揮官」

このように自衛隊の弾薬支援は数多くの命を救った美談の事例だった。それでも韓国では全く異なる声が出てきた。現地の実状には目もくれず「どうしてわざわざ日本に武器支援を受けたのか」という無責任な印象の批判だった。

 事実日本の弾薬支援決定も決して容易なことではなかった。当時の日本では武器搬出そのものに対し国内的に拒否反応が大きかった。その上いくら同じPKFだとしても相互軍需支援協定(ACSA)も結んでいない外国軍に弾薬を支援するのは議論の素地があった。実際に「国内法的根拠がない」という問題提起も相次いだ。

これと関連し、当時駐日韓国大使館で駐在武官を務めた韓国国防外交協会のクォン・テファン会長は、「安倍政権は当初弾薬支援を拒否しようとしたが、反政府軍が韓国軍部隊を攻撃して問題が生じれば人道的次元から非難があふれかねない点を挙げ最終支援するよう決めた。安倍首相が直接指揮した事案だった」と話した。

それでも韓国で批判が出続けると、今度は当事者である自衛隊の部隊長が出た。井川部隊長は翌年1月に毎日新聞とのインタビューで「韓国隊が危機にひんしているのを見過ごすわけにはいかないと感じた」とし、「人命救助のためプライドを捨てて頼んできた。すばらしい指揮官だ」と話した。

◇戦争のたびに輝く両国民救助作戦

「命より尊いものはない」という思いは海外で両国が軍事協力をする黙契になった。2023年4月と10月、相次いで韓国軍が数十人の日本人を救出したのも同じ理由だった。

2023年4月15日、スーダン内戦が勃発すると韓国は第707特殊任務団など陸海空軍の特殊戦戦力を投じる民間人撤収作戦を立てた。作戦名は「プロミス」。29人の在住韓国人のうち残留を希望したスーダンとの二重国籍者1人を除き全員が首都ハルツームに集結し、陸路で36時間走ってポートスーダンまで行かなければならない危険な作戦だった。

ところがそこまで脱出できなかった日本人5人も韓国軍が用意したバスに乗った。事前に日本政府の要請があった。ポートスーダン空港には韓日がそれぞれ派遣した輸送機が待機していた。全員が無事に帰国し、岸田文雄首相は感謝の気持ちを直接明らかにした。

同年10月7日、パレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲して戦争が勃発すると韓日は再び手を組んだ。韓国は在住国民と旅行者を救助するため空軍のKC330空中給油輸送機を現地に急派した。戦争勃発から1週間後の10月14日、ソウル空港へ向かう輸送機には韓国人163人、日本人51人と外国籍家族6人、シンガポール人6人の220人が乗り込んだ。当時韓国外交部は「帰国を要請した韓国国民を全員乗せても80席ほどの余裕があり、韓国政府が先に人道的支援次元で現地の日本大使館に日本人搭乗を提案した」と経緯を明らかにした。

日本では熱い反応があふれた。関連記事に「とても世話になった。51人の命を救ったのと同じ」「こうしたことが増えるほど両国関係も良くなるだろう」などのコメントが続いた。日本政府もこれにこたえるように10月20日に現地を出発する航空自衛隊のKC767空中給油輸送機に韓国人19人と外国籍家族1人を乗せた。

こうした合同撤収作戦は韓日の首脳外交復活の産物でもあった。岸田首相が昨年9月に退任を控えて訪韓し、当時の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と第三国で紛争が発生した際に両国国民の避難を互いに助ける了解覚書を結んだのも数回の経験に基づいて共感が作られたためだった。

◇文・安倍時代は最悪、GSOMIA破棄騒動まで

両国関係が破局に突き進んだ文在寅(ムン・ジェイン)・安倍時代と比較すると劇的な変化だった。当時は軍事的にも最悪の時期だった。

韓国海軍は2018年10月に済州(チェジュ)海軍基地で開かれた国際観艦式に日本の海上自衛隊を招きながら艦艇に自衛艦旗を掲揚しないよう求めた。旧日本軍の旭日旗を連想させるという理由だった。日本側は不参加を通知した。

しかし金大中政権の1998年と李明博(イ・ミョンバク)政権の2008年に韓国が主催した観艦式には海上自衛隊の艦艇が自衛艦旗を掲げて参加した。金泳三(キム・ヨンサム)政権、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権、朴槿恵(パク・クネ)政権時代に韓国に入港する時も自衛艦旗を下ろしたことはなかった。さらに文在寅政権初期の2017年10月に平沢(ピョンテク)港に来た海上自衛隊の艦艇も自衛艦旗を掲げた。事実上自衛艦旗掲揚問題は軍の立場ではなく青瓦台(チョンワデ、大統領府)の意志だったというのが軍関係者の説明だ。政権が変わると国防部は「国際的慣例」としてこれ以上問題にしないという立場を出した。

2018年12月からの2カ月間に4回も両国の海上戦力が互いに威嚇したと主張する事態も起きた。いわゆる海上哨戒機事件だった。両国軍当局は互いに証拠を提示して退かず、不信と対立は深まった。

ついに翌年11月にはGSOMIA破棄騒動が起きた。同盟である米国を中心に核心対北朝鮮情報を共有するチャンネルをなくすということだった。青瓦台は頑固だったが、驚いた米国が高官らを通じて警告を送ると取りやめたというのが当時の状況をよく知る関係者の話だ。特にマーク・ナッパー米国務副次官補は日本経済新聞に「北京、モスクワ、平壌(ピョンヤン)には喜ぶ人がいる」とし、GSOMIAは危険な時に韓米日3カ国間の調整に重要な道具だと厳しい忠告を与えた。

◇「PKOで蓄積した協力経験生かさなければ」

良い記憶は長続きする。東ティモールと南スーダンで協力した韓日の将兵はいまも互いに安否を尋ねて過ごすほどだ。コ・ドンジュン元団長は「井川部隊長とは最近でも時々連絡をやりとりする。ハンビッ部隊派兵10周年記念式(2023年5月)には韓国政府の承諾を得て直接招請もした」と話した。

陸上自衛隊将校出身である日本の中谷元防衛相も両国のPKO協力に格別な愛着を持っているという。中谷防衛相は2001年に小泉内閣で44歳で最年少の防衛庁長官(現防衛相)を務め、同年9月に東ティモールを訪問しようとした。だが、米国で9・11同時多発テロが発生し行くことができなかった。しかし退任直前の翌年8月に東ティモールに行った。韓国の常緑樹部隊を訪問しブリーフィングまで受けたという。

これと関連しクォン・テファン会長は「韓日間には良いことがあっても歪曲されて色が薄れるケースが多い。PKOを通じて蓄積した協力の経験を韓米日安全保障協力の枠組みの中でうまく生かす必要がある」と話した。

カギは関係の拡大と持続性だ。韓国事情をよく知る朝日新聞の牧野愛博専門記者(外交担当)は先月のコラムでこの点を懸念した。彼は「韓国が抑止力の強化を目指すなら、日本と物品役務相互提供協定(ACSA)や自衛隊と韓国軍の相互往来円滑化協定(RAA)を結ぶのが現実的な方法だろう」としながらも、李在明(イ・ジェミョン)政権が保守政権でも果たせなかった日韓安保協力に積極的に出るのは考えにくいとした。

だが、すでに元に戻すことができないほどお互いが必要だという指摘も出る。パク・チョルギュン元国防部軍備統制検証団長は「定例化された韓米日ミサイル警報訓練は3カ国のレーダーシステムが統合されたという意味。軍事作戦的には相当な協力水準に達したもの」と指摘する。その上で「韓半島有事時に増員される7つの国連軍司令部後方基地はすべて日本にあるが、政治的・歴史的問題を離れて大乗的な次元で軍事協力を強化していかなければならない」と話した。

2025/07/27 12:28
https://japanese.joins.com/JArticle/336774

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