日本式の「朝鮮通信使」ではなく史料に基づく「通信使」を使用すべき=韓国【寄稿】

投稿者: | 2025年8月26日

 最近、韓国の政府、公共機関、民間の文化行事において、「朝鮮通信使」という名称が広く用いられている。しかし、はたして、この表現が歴史的に正確なものなのか、韓国の子孫に正しく教えることができる用語なのかについては、改めて考えてみるべき問題だ。

 朝鮮時代、朝鮮の国王が日本の幕府の将軍に公式に派遣した外交使節の名称は「通信使」だった。この名称は、『朝鮮王朝実録』『承政院日記』『使行録』などの一次史料に数百回登場し、当時の朝鮮の朝廷と学者が用いた正式名称だ。

 朝鮮通信使という表現は、これらの記録にはまったく登場しない。それも当然で、「朝鮮から来た通信使」という意味であり、日本人の観点で用いた名称だからだ。朝鮮が自国の外交使節をそのように呼んだことはない。これは、韓国が日本に大使を派遣して「韓国大使」と言わないのと同じだ。

 このような点は韓国の学界でもよく知られている。韓日関係の歴史を扱う代表的な学会として、韓日関係史学会が挙げられる。その学会誌である「韓日関係史研究」に1993年以降に掲載された論文のうち、論文の題名に通信使あるいは朝鮮通信使という単語が含まれているのは36編だが、そのうち通信使が34編、朝鮮通信使が2編だ。2編のうちの一つは日本の学者の論文で、もう一つは、17世紀の日本の学者が朝鮮通信使と交わした筆談を扱ったものだ。これから、韓国の歴史学界では一貫して通信使という名称を用いてきたことがわかる。

 朝鮮王朝実録について、朝鮮通信使で検索すると7件、通信使で検索すると336件出力される。朝鮮通信使の7件は、いずれも日本人の話を直接話法で記録したもので、そのうちの一つの例として、壬辰倭乱の元凶である豊臣秀吉の言葉がある。「朝鮮通信使を同行し、ともに渡海しなければならない」

 一方、通信使の336件のなかには、世宗大王の言葉を直接話法で記録したものなどもある。たとえば、「まだ通信使の高得宗(コ・ドゥクジュン)が帰ってくるのを待ち、対策を立てたとしても」と述べた内容だ。

 幸いなことに、ソウル歴史博物館が最近開催した「朝鮮時代通信使特別展」では、通信使という名称を使用している。この特別展の案内には、「今回の展示では、日本式の表現である朝鮮通信使の代わりに、朝鮮の史料に基づく通信使という名称を一貫して使用している」と明記している。

 通信使は、朝鮮と日本の間の信頼と交流を象徴する特別な使節団だった。通信使は1404~1811年の408年間、24回にわたり日本に派遣された。朝鮮前期には京都に、朝鮮末期には江戸(東京)に赴き、王の国書を幕府将軍に渡した。その旅程は、外交の現場だけでなく、文化、芸術、学問が行き交う経路になった。

 朝鮮通信使という表現は、この使節団の歴史的意味を日本中心に解釈させることになりうる。暗に日本の海洋膨張主義と結びつくことは避けなければならない。通信使は単なる過去の遺産ではなく、こんにちの歴史教育、都市アイデンティティ、さらには、韓日関係の地政学的、文化的意味を規定する重要なキーワードでもある。

 今年は韓日国交樹立60周年だ。6月17日に行われた石破茂首相との初の首脳会談で、李在明(イ・ジェミョン)大統領は「前庭を共同で使う隣人」と表現し、韓日関係の重要性を強調した。名称一つに込められる歴史的真実を正しく示すことは、一見すると小さなことに思えるかもしれないが、それこそ、歴史から学び、未来を正しくデザインする第一歩になりえるだろう。

2025/08/25 18:55
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/54064.html

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