日本の国会では憲法改正論議が続いているが、その最大の争点は、戦争放棄と戦力不保持をうたった9条の改正である。外国の人は、自衛隊は戦力ではないのかと不思議に思うだろうが、日本では自衛隊は日本を防衛するためだけに実力を行使する組織だと説明されてきた。これを専守防衛の理念と呼ぶ。現在、自衛隊の装備は高度化し、日米の防衛協力も緊密化して、防衛政策の現状は専守防衛からかけ離れているという批判もある。それにしても、憲法9条と専守防衛の理念は、さらなる軍備増強を目指す政治家にとっては邪魔なものであり続けている。
最近、政治や社会と自衛隊の関係を変えようとする動きが目立つようになった。3月に、尉官クラスの現役自衛官が刃物をもって中国大使館に侵入して逮捕された。中国政府は講義したが、防衛大臣は謝罪していない。これは、自衛隊における幹部候補生の教育の在り方について疑問を呈さざるを得ない事件である。4月には、自民党の年1回の党大会に現役自衛官が招かれ、制服を着たうえで国歌を独唱した。防衛大臣は個人の行動だから問題ないと主張した。これは、自衛隊の政治的中立性を損なう事件である。個人の行動だから許されるとなれば、自衛官の政治的活動は野放しとなる。
他方で、6月に国会で野党議員が、子ども向けの自衛隊の広報誌について質問する中で、「経済的に厳しい子どもたちが行く。豊かな子どもたちは自衛隊とかならない」と発言し、自衛隊員に対する差別だとしてはげしい批判を浴びた。この議員は発言を撤回し、謝罪した。ジャーナリストの布施祐仁氏の調査によれば、自衛隊員が入隊を志願した理由は様々で、経済的動機が重要というわけではない。その点で、この質問は事実に基づいていなかった。しかし、自衛隊のリクルート担当者は、貧困家庭を狙うと言ったことも紹介されている。貧しい若者が生きていくために軍務を志願することは、経済的徴兵制と呼ばれ、各国で似たような現象は存在する。
これらの出来事は、自衛隊で不祥事が起これば一応批判は起こるが長続きせず、責任もあいまいにされる一方、自衛隊に対する不正確な問題提起に対しては政府自身からも、世論からも激しい攻撃が行われることを物語る。
自衛隊の正当性をめぐる論争があったのは数十年前の話である。今の日本で自衛隊は違憲だから廃止せよと主張する人はごく少数である。災害救助などでの自衛隊の活動には、ほとんどの国民が感謝している。しかし、今の政府と自衛隊の幹部は、本物の戦闘に備えて装備を高度化し、同志国との訓練を重ねている。国民に対しても、日本を外敵の脅威から守るという本来業務について理解と支持を得ようとしている。
ここで考えなければならないのは、国を守ってくれるからという理由で自衛隊を聖域にして、それを使う政治家による安全保障政策の転換を傍観してよいのかという問いである。高市早苗首相は、中国に対する敵対姿勢を続け、日中間の関係改善の動きは存在しない。そして、中国の脅威を念頭に、政府、与党では安全保障の基本理念、抗争を示す安保三文書の改訂の議論が進んでいる。その中では、防衛費の大幅増加、非核三原則の見直しがテーマとされている。与党内では、国主導の防衛産業の強化、備蓄の増加や供給網の拡大による継戦能力の拡大を求める声もある。
国際環境の変化や技術進歩の中で防衛力をどう整備するかは、避けて通れない課題である。しかし、日本の安全保障を考える際には、国内社会の現実と歴史の教訓を直視しなければならない。日本は食料とエネルギーを輸入に依存している。こんな国が年単位の継戦能力を持つことは、そもそも不可能である。そのことは、太平洋戦争の時に思い知ったはずである。
防衛費をたとえばGDP比3.5%へと大幅に増やすとすれば、現在の防衛費に毎年10兆円程度を上乗せすることになる。その財源をどこに求めるのか。先進国最悪の財政赤字は日本円の信用低下をもたらし、円安が進んでいる。防衛費だけを不均衡に増やせば、日本経済と国民生活が破綻する恐れがある。さらに、日本では人口減少が加速し、地域社会の空洞化はさらに進む。農山村においては、外敵よりも熊の方が現実的な脅威である。
国力に見合った安全保障政策を考えるためには、自衛隊をもてはやす一部の政治家に議論を任せるべきではない。自衛隊を自由な議論の対象にしながら、他面的な進めることが必要である。
山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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