日本の右翼が反発するも…朝鮮王朝時代の建築物「観月堂」が100年ぶりに故国へ、鎌倉大仏殿高徳院の境内から解体して移送

投稿者: | 2025年6月25日

 『SLAM DUNK(スラムダンク)』の舞台になった神奈川県鎌倉市。高さ11メートルの巨大な青銅の大仏がある「高徳院」は、韓国人も大勢訪れる観光地だ。日本の国宝にも指定されているこの優れた仏像の裏手には、「観月堂」と呼ばれる朝鮮王朝時代の建築物があった。朝鮮王朝後期の王室祠堂(しどう)様式を備えた木造建築物だ。丸ごと日本に持ち出されたこの悲運の建物が、およそ100年ぶりに故国へと戻ってきた。寺の僧侶の「無条件の寄贈」によって実現した。

 国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は24日、「朝鮮王室の祠堂建築物と推定される『観月堂』の建物を解体し、部材5000点が韓国国内に戻ってきた」と発表した。先に23日午後、国家遺産庁と同財団は観月堂の建物を所有してきた高徳院の佐藤孝雄住職と約定を結び、最近韓国へ搬入された観月堂の部材について公式に譲渡を受けた。海外にある韓国の建築遺産が丸ごと戻ってきたのは初めてだ。昨年、建物を解体した後、石材・金物・瓦・木材を段階的に韓国国内へと移送し、解体された部材は現在、京畿道坡州市の伝統建築修理技術振興財団の収蔵庫に保管されている。

 「観月堂」は正面3間、側面2間、切妻屋根の木造建築物だ。1924年に朝鮮殖産銀行が、山一證券初代社長の杉野喜精(1870~1939)に贈与したと推定される。王室関連の建物で、本来はソウルにあった可能性が高い。その後、東京に移されて杉野の自宅に建てられたが、1930年代に杉野が高徳院に寄贈し、境内の大仏の裏手に移築され、観音菩薩(ぼさつ)像を奉安する祈禱(きとう)所として活用されてきた。

 今回の帰還は、佐藤孝雄住職の固い信念のおかげで可能だった。住職であると同時に慶応大学民族学考古学教授でもある佐藤さんは「2002年に住職に就任したときから、建物の由来を聞いて、韓国に送り返すのが最善だと考えた」「けりがつくまで23年かかった」と語った。

2025/06/25 13:00
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