韓国語で「黄色いシャツ」歌った…全斗煥「ナカソネサン、ホレタ!」(2)

投稿者: | 2025年7月6日

一方、日本側でも中曽根訪韓を大いに参考にしたような動きがあった。本来ならば今年1月すでに実現しているはずだった石破氏の電撃訪韓である。中曽根氏は瀬島氏に密使役を頼む際、「執権前から訪韓を考えていた」と伝えた。石破氏も実は首相就任前から、マルチの国際会議を除いた初の二国間外交の訪問地を韓国にすると決めていた。そのため首相就任後、ほどなく訪韓に向けた調整を指示し、24年11月中旬には年初の訪韓が二国間で内定した。だが12月3日夜……。

尹氏の日本訪問や、幻となった石破氏の電撃韓国訪問は、いずれも安全保障上の連携強化が大きな狙いだった。東西冷戦下の中曽根氏の電撃訪韓も、まさに安全保障上、韓国との関係悪化を放置したままでは大きな支障があると判断したためだ。しかし、中曽根氏に関しては、必ずしもそれだけではなかったようだ。

 韓国併合から、ちょうど100年を迎えた2010年、朝日新聞は年間を通した長期企画「百年の明日 ニッポンとコリア」を掲載した。その企画を始めるにあたり、大物政治家にロングインタビューした。韓国側は、私が金泳三(キム・ヨンサム)氏にインタビューした。金氏は大統領在任中は対日強硬派としても知られたものの、退任後は早稲田大で講義をするなど知日派の一面を強調していた。日本側は、朝日新聞主筆を終え、コラムニストとして活動していた若宮啓文氏が中曽根氏に話を聞いた(2010年1月27日付 朝日新聞朝刊)。

そこで若宮氏は電撃訪韓について、中曽根氏にこう尋ねた。

「首脳会談では中曽根さんが『我が国が多大な苦難をもたらした』と踏み込み、『過ち』だったとも(筆者注:言った)。後の(同:1995年の)村山首相(同:の戦後50年)談話に通じる言葉ですが、保守勢力には今も併合を正当化する人たちがいます」

これに対し、中曽根氏は、こう答えている。

「私は民族主義者だから、韓国の民族主義も理解していた。日本があれだけのことをやった以上、一度は謝らなければならない。総理大臣が『過ち』と述べて謝る。それが礼儀だという意識をもち、自分で考えたのです」

また、中曽根氏は自ら、こんなことも付け加えた。「(筆者注:1923年に起きた)関東大震災では朝鮮人が襲撃する話が流れ、『本当かな』と怖い感じをもったが、ひどい流言飛語でした」

この記事が掲載された後、若宮氏が筆者に取材後記のような感想を語った。「中曽根氏は最右翼、タカ派などと呼ばれるが、アジア諸国に対する加害には、かなり強い意識を持っていることが今回、はっきりした。悪いことは悪い、と声を大にして言う潔さがあり、取材中もそれを詳しく語った」といった趣旨だった。常に冷静な若宮氏が、興奮気味に説明したので、中曽根氏の強い思いが一層伝わってくるようだった。

中曽根氏は電撃訪韓を実現させた後、さらに翌84年、今度は全氏の日本訪問を実現させた。こちらも韓国の現職大統領の初訪日だった。それだけに宮中晩餐会で昭和天皇が全氏に、どういった言葉を投げかけるのか、日韓のメディアが注目した。昭和天皇は「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことはまことに遺憾であり、再び繰り返されてはならない」と語った。

このとき「遺憾」という表現を使うかどうか、日本政府内で意見が分かれた。天皇ら皇室の世話をする宮内庁や外務省は必要ないとの意見だったが、中曽根氏が宮内庁長官に「『遺憾』を入れろ」と指示したことで、決着がついた。

ただ、さらにその翌年の85年8月15日、戦後40年の大きな節目に中曽根氏は、A級戦犯も合祀される靖国神社に公式参拝をして、中国から激しい反発を受ける。過去に対する謙虚な姿勢と、過去を否定しないかのような伝統回帰の行動。二面性とも、矛盾ともとれる言動は、中曽根氏のみならず、近現代の日韓外交史では何度か繰り返されてきた。

たとえば、中曽根氏の電撃訪韓に続いて、政治に世界で日韓が決定的につながった1998年の日韓共同宣言の後もそうだった。「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」との副題で、小渕恵三(首相と金大中(キム・デジュン)大統領が打ち上げた宣言は、今なおその輝きを失っていない。

だが、その3年後の2001年、再び日本の歴史教科書が事実を歪曲していると韓国から指摘され、政治問題に発展して、宣言に冷や水を浴びせた。そんな破壊行為が起きるたび、日韓両市民らは、まるで散乱したがれきを一つずつ拾い集め、修復するかのように隣国関係を立て直してきた。

中曽根氏の電撃訪韓やこれらの動きが、現代を生きる私たちに示唆する教訓はなんだろう。外交対立の解決に、どちらか一方が百点満点を得たならば、その交渉は失敗を意味する。まして敏感な過去を抱く日韓関係においては特にそうだ。

日韓双方に求められるのは、どんなに良い行動や宣言を出したとしても、そこで終わるのではなく、維持発展させていく不断の努力が必要だ、ということに尽きる。私たち日韓双方の市民が60年の歩みをふり返り、レジリエンス(復元力、Resilience)の必要性をいま一度強く認識すべきではないか。

箱田哲也/朝日新聞記?

2025/07/06 08:51
https://japanese.joins.com/JArticle/335887

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