猛暑にもかかわらず大阪・関西万博来場者1000万人突破…安穏な老後をなげうって奔走する「ミスター・ミャクミャク」にインタビュー(下)

投稿者: | 2025年7月30日

■公務員になったお笑い芸人?

-典型的な日本の官僚スタイルではないですね。

「京都大学数学科教授だった父と6歳の時から4年間欧州で生活しました。その時にグローバルな感覚が身に付いたからでしょうか、年齢・性別・国籍に関係なく誰とでも仲良く過ごしました。プライドや恥の感覚などはとっくに捨てました(笑)」

-公務員ではなくお笑い芸人になった方がよかったのでは。

「ただでさえ私はラテン系の人間ではないかと考えていました(笑)。私を通じて誰かが笑ってくれた時が一番幸せですが、公務員になって日本をもっと素晴らしい国にしたかったんです」

-東京大学法学部なら最高のエリートだが。

「授業は聞かずに友人たちと将来の日本をどうするか議論ばかりしていました(笑)」

-大学生の時に40種類のアルバイトをしたのは本当か?

「両親は仕送りをしてくれなかった。京都大学教授の父は息子が東京大学に行くことに反対した。東京大学法学部に合格したら即座に捨てられた(笑)。しかしアルバイトは私にどんな職業でも尊重され、感謝されるべきことを悟らせてくれた」

-法律家になることもできたはずだが。

「寝坊して司法試験に行けなかった。ハハ! それでも公務員は自分に向いていた。アルバイトをしながら目上への従い方、目下との付き合い方を身に付けたことが官僚生活に大きなプラスになった」

■ベ・ヨンジュンとレディ・ガガ

-公務員として一番つらかったのは東日本大震災の時でしたか?

「もちろんです。福島の復興に私の人生を懸けた時期です。ペ・ヨンジュンさん、レディ・ガガさんなどあの時に支援してくれた方々には死ぬまで感謝していきたいです」

-レディ・ガガやペ・ヨンジュンに直接会ったそうだが。

「レディ・ガガさんはニューヨーク・タイムズを通じて私たちを応援してくれたので日本に招待しました。私の頬にキスしてくれたときはうっとりしました(笑)。ペ・ヨンジュンさんの笑顔はどれほど幻想的だろう。その時に私は質問しました。ヨン様はトイレでもこのようにすてきに笑っているのですかと(笑)」

-長官辞任後はなぜ大阪に来たんですか?

「落ち込んだ関西地域の観光を復活させる力になってほしいと言われました。私は火中の栗を拾う人間なので、喜んでお引き受けしました」

-大阪観光局で『24時間眠らない大阪』『大阪オンリーワン』『統合型リゾート(IR)』などたくさんの計画を進めましたね。

「10歳の時に大阪万博(1970年)を見た時、大阪は私にとって驚くべき都市でした。しかし退任後、大阪で偶然出会ったタクシー運転手が『大阪には魅力がない』と言ったので衝撃を受けました。1500年にわたって大陸の関門だった大阪を玄関に他の都市への観光につなげられるよう私たちは毎日毎日頭をひねりました」

-昨年は東京を抑えて外国人観光客シェア1位を記録したそうですね。溝畑宏効果だったのですか?

「私は『いっしょにやろう!』と叫ぶプロデューサーに過ぎません(笑)。観光産業は経済を支える柱です。昨年の外国人観光客の消費額(8.1兆円)は半導体や電子部品の輸出額(6.1兆円)を上回りました。私が一肌脱いで走り回るのはそのためです」

2025/07/30 10:45
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/07/28/2025072880010.html

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