ざぶーん
26日午後2時27分。山口県宇部市の沖にぽつんと浮かんでいる巨大な円形のコンクリート製の換気口「ピーヤ」内部の海水が一度、大きく波打った。この日午前10時20分ごろにピーヤから海底炭鉱の内部に投入され、4時間の死闘を繰り広げた水中探査専門の2人の韓国人ダイバーが「ヒュー」と大きく息を吐きながら水上に上がってきた。彼らの手には遺骨運搬用の緑色のプラスチックの箱が握られていた。「オーケー、オーケー」という言葉と共に彼らが蓋を開けると、形が完全に保存されている頭蓋骨が入っていた。
日帝強占期に多くの朝鮮人が強制動員された長生炭鉱。同炭鉱の事故で水没した犠牲者の1人のものである可能性が高い頭蓋骨が完全な形でピーヤの上に引き上げられた。犠牲になってから83年ぶりに光を見た瞬間だった。この日、水中調査の支援にあたった日本人潜水チームは、「日本の海で韓国人ダイバーが、つらい過去を持つ海底炭鉱の犠牲者の遺骨を発見したということに、特別な意味がある。水没事故から80年が過ぎたが、遺骨は閉鎖された空間で潮流や海砂などに流されなかったため、保存状態が非常に良い。坑道の中にある遺骨も似たような状態だと推定される」との期待を示した。
行政安全部傘下の日帝強制動員被害者支援財団によると、長生炭鉱に強制動員された朝鮮人は1258人にのぼる。仕事中に頭の上を船が通り過ぎる音が聞こえるほど危険千万だったこの炭鉱は、特に朝鮮人労働者が多かったため「朝鮮炭鉱」と呼ばれてもいた。水没事故は、1942年2月に上から圧していた海水が坑道内に漏れ出し、それをきっかけに起きた。この事故で183人が死亡した。犠牲者の74%ほどにあたる136人が朝鮮人だった。
この日、記者が小型ボートに乗って海を渡ってたどり着いたピーヤは、のぞき込むと恐怖そのものだった。数十年分のこけと色あせたペンキだけが、遺骨となった犠牲者の待たされた時間の長さを物語っているようだった。
日本の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」の上田慶司事務局長はこの日、「2人の韓国人ダイバーがピーヤから本坑道へとつながる出入路に入り、1点の頭蓋骨を収拾した」と述べた。刻む会は昨年10月、海岸に埋まっていた坑口を82年ぶりに発見し、市民からの募金で遺体発掘作業をおこなってきた。坑口の近くはすでにかなり崩れ落ちているため水中への進入そのものが難しくなっているうえ、さらなる崩壊のリスクによるダイバーの安全問題、市民団体が自ら費用を調達しなければならないことなどのため、遺骨発掘は困難が伴った。
しかし、今月8日にはピーヤから本坑道へとつながる新たな進入路が発見され、25日には水中探査の準備作業中に犠牲者のものとみられる3点の骨が発見された。続いて、この日は人の骨であることがはっきりと確認できる頭蓋骨が発見されたのだ。この日の潜水に投入された韓国人ダイバーは、「昨日に骨を発見した場所で1点の頭蓋骨を発見したため収拾した。長靴の中に入っている別の遺骨も持ってこようとしたが、水中の視野が悪化したためひとまず作業を中断した」、「作業服を着ているとみられる遺体も確認できた」と語った。ダイバーの言う通りなら、さらに収拾される遺体について朝鮮人かどうかが早期に分かる可能性もある。遺骨だけでは、DNA鑑定を経ないと朝鮮人なのか日本人なのかが確認できない。しかし、作業服のような手がかりがあれば、DNA鑑定の前に遺骨が朝鮮人のものかどうかが分かる。アジア平和と歴史研究所のハン・ヘイン研究委員はハンギョレに、「当時の長生炭鉱の労働者の服に記されていた番号についての記録がある。作業服が収拾されれば、朝鮮人犠牲者が早期に確認される可能性もある」との見通しを示した。
この日、長生炭鉱のある床波海岸には、弔意を示す花輪と白い布で覆われた素朴な祭祀(さいし)台が用意され、陸に戻ってきた犠牲者を慰める場も設けられた。刻む会が犠牲者の遺族を迎え、在日本大韓民国民団と在日本朝鮮人総連合会(総連)の関係者も同席した。民団山口県地方本部のカン・チャンホン団長はハンギョレに、「日帝強占期に無念に犠牲となった方々の遺体を探して彼らを慰めるのに、民団も総連もない。人道主義的面から自然に同じ場に出席した」と説明した。
刻む会の井上洋子代表は「今日の発掘で、犠牲となった炭鉱労働者の骨だということが事実上確認されただけに、日本政府は遺体や遺骨の収拾に積極的に関与すべきだ」として、「韓国政府にも数年前から遺骨収拾への支援を強く要請してきたが、日本政府と共同で収拾を行い、犠牲者を故郷に送り届けてほしい」と述べた。
2025/08/26 17:08
https://japan.hani.co.kr/arti/international/54068.html