16日午前10時(日本時間)、米ロサンゼルススタジアムでキックオフのホイッスルが響けば、イランの選手たちは武者震いするだろう。ワールドカップ(W杯)に向けたこの4年間は生存がかかる道のりだったからだ。自国政府による監視、戦争、外交的冷遇という三重苦を乗り越えて立つことになった舞台だ。
苦難の始まりは4年前のカタールW杯に遡る。当時、母国は「ヒジャブ未着用女子大生の不審死事件」で反政府デモの炎に包まれていた。イングランドとの第1戦、イランの選手たちはスタジアムに響く国歌を歌わなかった。口を閉じて目を伏せた。叫びをのみ込んだ沈黙の抵抗だった。
その代償は過酷だった。イラン革命防衛隊(IRGC)は「帰国後、家族が拷問を受けたり監禁されたりするだろう」と脅迫した。不安の中でカタールW杯を終えた選手たちはデモが沈静化してようやくサッカーに集中することになった。
イランは昨年3月、アジア予選のグループ1位で早々と本大会出場を決めた。昨年12月の組み合わせ抽選でベルギー、エジプト、ニュージーランドとともにグループGに入り、米国でグループステージ全試合を行う日程を受け入れた当時、悲劇は終わったかのように見えた。
本当の災難は今年2月に起きた。イランとW杯共同開催国の米国の間で全面的な軍事衝突が勃発した。戦争相手国の領土で試合をするという極めて危険な状況を迎えた。イランサッカー協会のメフディ・タジ会長が「W杯出場は期待できない」と不参加を示唆すると、トランプ米大統領は「イランが出ようが出まいが知ったことではない」と返した。
イラン政府は国際サッカー連盟(FIFA)に「グループステージの会場を米国でなくメキシコに変更してほしい」と要求したが、拒否された。すると今度は一転して「敵対国への遠征禁止令」を出した。4月にはトランプ大統領の特使側から「イランを失格にしてイタリアを代わりに出場させよう」という交代説まで流れた。ジャンニ・インファンティーノFIFA会長が「政治的な理由で出場国を変更することはできない」と一線を画し、粘り強く仲介した末、イランは4月末にようやく復帰を宣言した。
出場は確定したものの、米国の「外交的報復」がイラン代表の足を引っ張った。米国がビザ発給を意図的に遅らせたため、当初予定していたアリゾナ州ベースキャンプを取り消し、国境を越えたメキシコのティフアナにキャンプ地を急きょ移さざるを得なかった。
米国が最終的に承認したビザは世界サッカー史上でも類を見ない「1泊滞在限定ビザ」だった。入国した瞬間からわずか1泊2日だけ米国の領土に滞在できるという統制措置だ。イランは試合前日に米国入りし、公式記者会見と一度だけの適応練習をして試合に臨み、試合終了と同時に急いでティフアナに戻らなければいけない。
イランのパサンディデ駐メキシコ大使は「長距離フライトと急ぎの移動でコンディションが崩れている」と激しく非難した。タジ会長をはじめとするチーム首脳陣6人は入国自体が拒否された。米政府関係者は「テロリストの潜入を防ぐための措置」とし、イラン代表チームに対して潜在的犯罪者扱いをした。
奇しくも試合前日に米国とイランは106日間にわたる戦争を終え、劇的に戦闘終結に合意した。イランの主将メフディ・タレミは「他の選手たちはW杯を前に胸を躍らせるが、我々はビザの問題や流浪生活のため極度の緊張と疲労しか感じなかった」と語った。ガレノエイ監督も「勝とうが負けようが、あまりにも複雑な心境だ」と話した。
苦難は今後も続く可能性が高い。イラン系米国人が多く居住するロサンゼルスでは大規模な反政府デモが予告されている。イランのスポーツ省は「スタジアムに承認されていない旗が掲げられたり、反政府スローガンが叫ばれたりした場合は直ちに試合を中断するべき」と指示を出している。緑のピッチがいつさく裂するか分からない政治的な火薬庫となっている。
2026/06/16 10:38
https://japanese.joins.com/JArticle/350593